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~ N0.101(平成20年8月号) ~

 森で遊ぼうの季節がやってきました!紆余曲折今年で11年目の開催です。今年もわくわくドキドキ!!ぜひぜひお待ちしております!!!

≪カルガモがやってきた!≫
 6月6日(日)の14時ごろ、カタロ駐車場に突然カルガモの親子がやってきました。お母さんガモを先頭に、なんと11羽の子供たちがぞろぞろと!テレビでよく中継されている、皇居のお堀のあの姿のまんまで!!その日はオーラソーマの企画日で、空~くう~もとても混みあっていました。『かわいいぃ~っ!!』と皆がみな出て来ては写真を撮ったり眺めたり・・・。ほんとけなげでかわいい姿!!
 それにしてもまぁ、よくこの大通りを渡ってきたものだ。でも考えてみたらこの先は住宅街。カルガモはなぜこんなところに来てしまったのか。んんん、、、考えた挙句、水辺のある林の方へ帰してあげようということになりました。これが悲劇の始まり、くだらん善人根性は自然の流れに反すると悲しい結果になる・・・。

≪・・・・・・≫
 近寄ろうとすると威嚇をするお母さんガモ。『ぐわッ!グワっ!!!バサバサッ!!!』隅にかたまって子どもを守ろうとする。おいおい、そっちじゃないよ、こっちだよ・・・。その場に居合わせた人たちと協力し合い、道路まで来たら車を止めて渡らせようという事になりました。
 なんとか方向転換したカルガモ連隊。道路の方に向かって行進し始めました。その姿のかわいらしいこと!
 で、駐車場から歩道に出たところで、なんと、散歩中の犬・・・・・。警戒したお母さんガモは一瞬にして飛び立ち、その瞬間に車と激突・・・。『ガシャ!!ガシャッン!!!』

いま想い出しても涙が出てくる。その姿に。

お母さんガモは、必死に起き上がろうとするんです。コガモたちが三々五々に散らばって、おっきな声で鳴く。『ぴー!ぴー!!ぴー!!!』お母さんガモは必死にそこへ行こうとする。でも動けない。首を立てようとするけれど、カタンと折れてしまう。バサバサ羽を動かすけれどはちゃめちゃ・・・。
『ごめんねぇ、ごめん。。。ごめん・・・』
・・・・・・・・・・・・
やがて動かなくなった・・・。
『・・・ごめんねぇ。子どもたちのことは大丈夫だからね。ちゃんと育てて野山に帰してあげるからね。ごめんね・・・・。』
 三々五々散らばっていた子どもたちは、無事にダンボールに捕獲された。『ぴー!ぴー!!ぴーー!!!』激しく動いて激しく泣いている。生まれてこの方お母さんとべったりだったのに、あっという間にいなくなってしまったのだ。

≪どうする・・・≫
 道路の中央で泣いているぼくの姿を、PTAのDさんが通りがかり、わざわざ引き返してくださった。『きたざわさん、なぁ~にやってるんですか。ひかれっちゃいますよ!!!』
 その方は市役所の方で、事情を説明すると、市役所で何らかの対応ができるかもしれないと、尋ねてくれるという。『その間、大変でしょうけどかわいがってやっていてください・・・』
 しかし、回答は否でした。当然といえば当然かもしれません。野生動物保護法とかいうものがあって、むやみに野生動物を捕獲したり、飼育したりしてはいけないのだそうです。例え今回のような場合でも、子どもはそのまま野性に帰しなさい、という法律なのです。
 そんなことはできるわけがない。そんなことしたらこの10cmにも満たない小さな命は、カラスか蛇か猫にでも、一瞬にして餌食になってしまう。法律違反かもしれないけれど、一人で生きていけるまで育ててあげよう。そう決めました。

≪飼育開始≫
 いろいろな人から援助がありました。上記のように市役所や県に掛け合ってくださった方。上野動物園に電話をしてくださった方。わらや餌をたっぷりと買い込んできてくださった方・・・。
 しかし夜も子どもたちは落ち着きませんでした。餌も食べずにそわそわと走り回り、ぴーぴーと鳴き続ける・・・。

・・・・・やがて、疲れ果て深い眠りについたようです。
 翌6月9日(月)ぼくは大間違いをやってしまいました。一晩くらい大丈夫だろうと隅においておいたお母さんガモの亡骸。明け方5時に行ったら、その羽が5メートル四方にも散らかり、身体は頭と骨だけになっていました・・・。カラスです。『あぁ・・・、ごめん、ごめん、、、、。』あの時の脱力感といったらありませんでした。そしてその日、一羽のコガモが死にました。

≪消え行くいのち≫
 6月10日(火)朝から動きの悪いコガモがいます。そしてその動きは次第に静となり、やがて息も絶え絶えとなり、次男秀平の手の平の上で死にました。声を出して大泣きをする秀平 『わぁ~ん・・・わぁ~ぁん・・・』ここまではよかったのです。『わぁ~~ん、、、学校へ行かなぁ~い・・・』 おいおい、それとこれとは違うだろう!大爆笑の妻と私。。。その日、子どもたちが学校から帰ってくると、2羽のコガモが死んでいました。
 6月11日(水)次々と消えて行く小さな命。はぁ、、このせつなさよ。どうすればいいのだろう。電話でペットショップに聞いたとおりにやっているのに、死んでしまう。やはり野生だからなのか。。。

 6月12日(木)1羽死に、2羽死に、3羽、4羽、、、5羽、、、、、6羽、、、、、、、、7羽も死んでしまいました。コガモのことばかり考えて、ぼんやりと運転をしていた私。一体どうしたらいいのだろう。このままではお母さんガモとの約束が果たせない。全滅してしまうかもしれない・・・。
 するとどうでしょう!ひかりのごとく鳥専門のペットショップが目の前に飛び込んできたではないですか!!!こんなところに、こんなお店があったなんて!!!このタイミング、奇跡としか言いようがありません。

≪助かったぁ~≫
 車をユーターンさせ、わらをもつかむ気持ちでお店に飛び込みました。
 事情を説明すると、穏やかな表情の主人は『たぶん、暖房がないからですよ。お母さんがいれば、一晩中お母さんの胸の中で休んでいられるんですから。ほら、こういうやつがありますから、これを使って暖めてあげてください。』
 帰ってすぐにその暖房装置をつけてあげました。正に、その通りであったようです。コガモ達は身体を寄せ合って、その暖房装置にうずくまるのでした。
 ふぅ~、、、助かった。よかった、、、、、よかった。。。。。
 その頃からのコガモたちの成長は、目を見張るものがありました。ぐんぐん成長するのです。食欲もすごいし、ウンチもすごい。一ヶ月経った今日では、体長も3倍くらいになりました。大人の羽も生えてきて、パタパタと飛ぼうとするしぐささえします。毎日寝床をきれいにして、昼間は事務所の軽トラックの上、夜は自宅の玄関。かわいいんです。ほんとに、かわいいんです。
 ここで少し心配になってきたことがあります。ペットショップの主人に言われたことです。『野生に帰すためには、どれだけあなたが鬼になれるかですよ。後ろをついて来ても、突き放せるかどうかですよ・・・』
 気にもしていなかったその言葉が、いまずしりと重い。あぁ、、、そんなことできるのだろうか。でもこのまま飼っておくつもりはない。お母さんガモとの約束なんだ。7羽も死なせてしまったけれど、4羽が生き残っている。自然に帰してあげるんだ。・・・と自分に言い聞かせる私。8月になったら場所を見つけて放してあげようと思う・・・。

次回はその顛末を書きたいと思います。

 ひとりごとを書いている今日は81日(金)近所の真夜中のデニーズです。コーヒー1杯で何時間もねばってしまっています。
 8月ともなれば夏真っ盛り。気温もぐんぐん上昇し、真っ黒に日焼けした子どもたちが元気に遊んでいる姿をよく見かけます。
 それでも、このカタロ通信が届く9月ともなれば、秋風薫る季節となります。稲穂も実るほどに黄金色となってこうべを垂れ、自然の移ろいの美しさを一番感じる季節となります。いかがお過ごしですか。
 8月3日に予定しておりました『第11回 森で遊ぼう』は、定員に満たなかったため、初めての中止となりました。これもきっと、意味と価値があるのでしょうね。

≪カルガモ≫
 カルガモ続報です。4羽となってしまったカルガモの子どもたち。それでもぐんぐん成長してくれました。ペットショップの主人によると、『一週間で、倍、倍って大きくなりますよ』とのこと。この主人にはほんとうに助けられました。時々立ち寄っては『カモ談義???』をしています。
 カモたちを見ているといろんなことに気づかされます。いつも自分が先頭で動くカモ。この子は誰より先にえさを食べ、誰より先に水を飲みます。だから成長が一番早い。でもどうやら肥満気味?な感じ。
 逆に、臆病でいつも後手後手のカモ。この子はいつも一番最後。みんなが食べ終わってから、いそいそと動き始める。だから発育が一番遅い。でもその分一番すばしっこく動く。小屋に入れる時容易ではないのがこの子です。
 で、それぞれが、、、ほんとに、かわいいんですよ(笑)

≪はじめての夜≫
 いつも夜になると玄関の中で飼っていました。でも、それって、大変なんですよ。匂いやしょうじょうバエ、ウンチやおしっこも大量・・・。そろそろ外で飼うときがきたようです。
 でもはじめて外に泊めるときは心配でした。猫にいたずらされるのではないか。カラスの連中が襲ってくるのではないか・・・。夜中に起きだして様子を伺う妻や子どもたち。。。そして次のステップとして、自宅の前ではなく、事務所の駐車場に置き去りにしました。雨の日、当初は傘をさしてあげたりしたのですが、やがておかまいなし。夕立で激しい雨とおっきなカミナリがあった時もこころを鬼にしてそのまま放置。
 4羽のカモたちは、お互いに寄り添っていました。

≪翼(つばさ)≫
 成長と共に、カモたちの身体に変化が起きてきました。なにやら、翼から骨が出てきてしまっているのです。その姿が実に痛々しい。どうしたんだろう。病気なんだろうか。えさが悪いんだろうか。。。
 数日見守っていると、ぽろぽろとその骨がむけていくんです。むけてその中から羽が生えてくるではないですか!そしてその羽には色がついている。カルガモ独特の緑とも紺とも青色ともいえない独特なグラデーションの美しい羽が!!!

≪いたずら・・・≫
 この可愛いカモたちを
見ていると、いたずらしたくなるんですね。うふッ!
 いたずらの一番のお気に入りは『水かけ』です。やっぱりカルガモは水の子ですから!?!?で、ジャーっと水圧をかけて水をかけるんです。けっこうひつこく(笑)そうすると、独特な姿勢になって逃げずに、こっちを向いてまともに水浴びをするんです。その姿の可愛いことかわいいこと。勝手に『こいつら、やっぱり水浴びが好きなんだよ!』とかいって決め付けて、毎日のようにいたずらしています。びちゃびちゃになった身体をブルブルッとふって、大きくなった翼を広げてバサバサっと羽ばたく。本人にしてみたらめちゃくちゃ迷惑なのかもしれませんが。。。挙句には、酔った勢いでつかまえて、チューしちゃったりなんかしちゃったりして・・・。

≪巣立ち≫
 一番ちっちゃかったカモの翼にも骨?が出てきました。もうすぐ全員が成鳥といえるでしょう。そうなればいよいよお別れ。巣立ちです。先日、放す場所を探してきました。破竹川の遊水池。ここには他のカルガモ家族もいました。きっとここなら元気に生きていってくれる・・・。
 ほんとうは今回のひとりごとでその巣立ちを報告できると思ったのですが、残念!あと数日必要。次回に持ち越しです。次回はカタロ通信の郵送はございませんので、甘味café空~くう~または北澤工務店ホームページでご覧ください。読みたいから届けてよ!、とご一報いただければ郵送又は持参もいたします。
 巣立ちのその時、たぶん、、、おさむ家族は、、、泣いちゃうのかなぁ・・・。

≪無添加住宅≫
 いよいよ無添加住宅の工事が始まりました。何度も何度もテレビ報道されている
 この無添加住宅。これまで北澤工務店が培ってきた技術と共に、より成長発展させた家づくりです。化学物質過敏症やシックハウス症候群は、もはや他人事ではありません。汚染まみれの衣食住の現代。家の中だけは安心して呼吸のできる家にしましょう。どんな設備よりも、どんな構造や工法よりも、一番の基本だと思うのです。いつでもご見学、ご案内ができます。お気軽にご連絡ください。

≪カタロ通信≫
 冒頭にもあるとおり、10年以上にわたって郵送させていただいてきたカタロ通信の送付を、まずは休止することにいたしました。毎月2300部を発行してまいりましたが、経費負担が増大したこと、郵送ではなく手渡しをしたいこと、HP上でよりよい内容にしていきたいこと、甘味café空~くう~に皆さまにお越しいただきたいこと・・・等々を検討した結果です。『パソコンなんてないよ!』『空~くう~にわざわざ行くのもねぇ・・・』『会員組織にして有料にすればいいじゃない』と、いろいろなご意見を頂戴しました。この『おさむのひとりごと』も含めカタロ通信は継続してまいりますので、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

~ N0.102(平成20年9月号) ~

稲刈りも終わり、緑に生い茂っていた風景はベージュ色に衣替えしていく・・・すっかり秋らしくなった今日、いかがお過ごしですか。

 『カモはその後どうした!?』と何人もの方々から声をかけられ、カモの人気はひとしおだったのだと改めて感じています。そうです、カモたちは、無事に巣立ちました。

 忘れもしない68日の出来事。11羽の子連れのカルガモ親子がカタロ駐車場に迷い込んできました。ぼくの浅知恵でとんでもない過ちを犯してしまった。目の前で『ガシャガシャン!!!』と激しく鈍い音を立てて死んでしまったお母さんカモ。11羽の子どもたちを残してどれほど心残りだったことか。その本能で動こうとする姿を見て、皆泣きました。息を引き取る寸前のお母さんカモにぼくは約束しました。『だいじょうぶだからね。こどもたちはちゃんと一人前に育ててあげるからね・・・』と。

 11羽の子どもたちは、保育空しく、次々と斃れて(たおれて)いきました。悲しかった。家族みんなが泣きました。あの亡くなったお母さんにも申し訳なくって・・・。そしてやがて、4羽が立派な翼を携えて大人になりました。カモ専用?の軽トラックは、おかげで2ヶ月間不動です。8月にもなると、その荷台でバサバサっと、今にも飛び立つようなしぐさをするようになりました。いよいよお別れかな・・・。巣立ちにふさわしそうな場所をあちこち見て回る私。

 812日、いよいよその日は来ました。

 子ガモを飼いはじめた時、友人から借り受けた犬用ゲージに4羽を移動しました。最初は11羽入れてもでっか過ぎたこのゲージ、今では狭いほどに成長しました。カモ専用?軽トラックに載せ、快晴の中いざ出陣。

 カモたちにとって、風を切って走る初めての感覚はどんなだったんだろう。目も開けてられないんじゃないかな???巣立ちの場所と決めた破竹川遊水地はすぐそばなのに、ずいぶんと遠く感じました。

 その場所はフェンスが張り巡らされているので、池までゲージを運んでいかなくてはなりません。ブツブツカモたちに声をかけながら池に到着。いよいよお別れです。

 あんなにちっちゃかったカモたちが、こんなに立派に大きくなりました。この2ヶ月間、いろんなことがありました。楽しかったなぁ・・・。でもいつかはこの日が来る。わかってはいたものの、なんともなんとも、寂しい限りです。どのカモかわかるように足に目印をつけておこうかとも思いましたが、それってすごく人間のエゴ! そう感じて、やめました。

 ゲージを開ける・・・と、動こうとしません。『なんか変だ』とでも感じているのでしょうか。恐いのか、どうにも動こうとしないので、ゲージを傾けて無理やり外に出すことにしました。

 外に出されたものの、おろおろする四人組。そうかそうか、おまえたちも別れが辛いんだろう。不安がいっぱいなんだろう。そうかそうか・・・かわいいやっちゃ。

 でも12分もすると、なんか様子が変わってきました。なにやら黙々と前に進んでいくではないですか!全くぼくたちの存在なんて気にしてないかのように・・・・・。予定ではこっちを降り向いて『ぺこり』とかしてくれて『ありがとう』みたいな雰囲気になっちゃったりなんかして、別れを惜しむぼくたちが涙をほろり、・・・のはずだったんですが・・・・・、とその瞬間、『バサっバサっバサッッ!!!!』あの、一番おっきな我が物顔だったカモが飛び立ったのです!!!フラフラしながらもその羽ばたきは力強く、勇敢でした。たぶん自分が一番びっくりしたんじゃないかな。『あれぇ、、、おれぇ、、、飛んじゃってるよぉ~!どうやって降りよう・・・』なんてね。

 50メートルくらい飛んで、無事に着水したカモ。今度は泳げるかどうかが心配です。ほんと、心配なんですよ。足もつかないでしょ?案の定、なんだか池の上ではバシャバシャとおぼれるかのような音が聞こえてくる・・・。

 残りのカモたちは、やっぱり振り返ることなく、淡々と前に進みながら草をひたすら食べていました。

 これでよかったんだ、とほっとする家族。予定していた涙なみだの感動的な別れはなかったけれど、目の前で初めて羽ばたいた姿を見ることができて、ほんとうによかった。この2ヶ月間、いっぱいいっぱい楽しませてもらいました。

 ~ カモたちのお母さん。4羽しか帰してあげることができなかったけど、みんな元気に行ったよ。おかげでぼくたち家族も、いのちの大切さやすばらしさをいっぱい体験させてもらった。カモたちを抱っこするとあたたかかったよ。心臓のドクンドクンという動きは人間と同じだった。真夏の水遊びはカモたちには迷惑だったかもしれないけれど、一番楽しい思い出だな。2ヶ月いても、誰も人間に飼い慣らされなかったよ。野生のままに成長した。

 この前あの場所に行ってきたんだ。みんなどうしてるかなと思って。そしたらなんと、30羽以上のカモたちがいたよ。もうどの子があの子達なのかわからない。でもたぶん、元気でやってるよ。仲間と一緒に羽ばたいていると思う。ありがとうカモたちのお母さん。そして亡くなった7羽の兄弟たち。 ~

 空を見上げることが多くなりました。時々、夕日に羽ばたく数羽のカモを見かけたりします・・・。その姿に、こころの中が満たされるわたしでした。

 1124日(祝)には、『カタロ市の日』が開催されます。今年はなんとこれまで最高の24店舗!! 出会いと笑顔があふれるこの一日。どうぞお越しくださいね。お待ちしております。

~ N0.103(平成20年10月号) ~

 11月になりました。あと一ヶ月もすると 『師走』 。あっという間に年が明けて、新年を迎えようとしています。何度書いたことか知れませんが、月日が経つのはほんとうに早いものです。一年一年がほんとうに早い。最近、73歳になる父がこんなこと言うんです。『おさむなぁ、人生っていうのは、ほんとうに短いよ』 と。

 遮二無二働いてきた父です。いや、ぼくたちが想像すらできない戦後の混沌の中を生き抜いてきた、昭和一ケタ台の人々に共通していることなのかも知れない。父の生い立ちは以前のひとりごとで連載しましたので、ぜひ読んでみてくださいね。2007年1月号からです。

《人生を楽しむ》
 『人生を楽しむ』 ということは、たぶん、神様というか、大宇宙というか、創造主というか、何でもいいんですが、その真意に沿った生き方だと思います。でもそれは、ぼくにとって 『悪』 の意味合いを持っていた。人生は楽しんではいけない。辛くて苦しい現実に耐えなくてはいけない。したいことは我慢して、頑張らなくちゃいけない。意志の強さとは、ガマンの強さなのだ。そんな禁止命令がぼくを支配していました。

 『人生を楽しむ』 とは、当然のことながら、自己満足の快楽主義を言っているものではなく、ほんとうに自分がしたいことをする、という意味です。したいことをしなくてなにが人生か、ということです。でも、みんな忙しい。忙し過ぎるくらいいに。仕事が忙しい。時間がない。お金がない。子供がいるから、家庭があるから、○○だから、、、できない。そんな理由を言い訳をいっぱいいっぱい背負いながら。月日が流れる。もったいないよ!!!ぼくは思う。たった一回の人生を賭けても惜しくない程の 『おれがほんとうにしたいこと』 を手にして行動できる人生こそが、雨の日も曇りの日も、晴れの日も、風の日も、真の意味で 『楽しむ』 ことができる人生だと。

 ぼくは19歳の頃から 『おれがこの人生で、ほんとうにしたいことは何か』 を求めていました。おれが今、この世に生まれてきた意味はなんなのだろう、と。無力感から厭世的な思考に囚われ、自殺願望に支配されていた時期もありました。 『死にたい』 と当時お付き合いしていた今の妻に、何度となく言っていました。『おまえは幸せ過ぎるんだ』
といつも父から怒鳴られ、幾度激しいやり取りをしてきたか知れません。そして、それからぼくは 『自分探しの旅』 に出ました。














《自分探しの旅》
 16歳の時にはじめて、北海道2週間の貧乏ひとり旅を経験していたぼくは、 『旅』 で出会う人々や自然から、絶大なエネルギーを享受できる事を知っていました。それからぼくが体験してきた主な旅は下記の通りです。

 19歳  オートバイ日本一周旅行(走行距離1万3千キロ)

 20歳  日本縦断徒歩旅行(徒歩2500キロ)

 21歳  台湾一周オートバイ旅行・韓国縦断自転車旅行

 22歳  シルクロード・タクラマカン砂漠徒歩旅行

 23歳  サハラ砂漠縦断自転車旅行

 しかし、これらの旅はすべて、苦しかった。つらかった。空しかった。
 なぜなら、自分のためにやってきた旅ではなかったから。
おれはこんなに凄いんだぞ。おれは他のチャラチャラしたやつらと違うんだ。おれはここにいる、みんな見てくれ、と。

 今はわかる。それらはすべて自分の 『存在』 を証明するためにやってきたことだったんだと。自分の 『存在』 を認めて欲しいだけだったんだと。だからあの頃、いつもひとりぼっちだった、苦しかった、つらかった。自分の人生を生きていなかった、他人の人生を生きていた。

















 やがて結婚し、家庭を持ち、二代目として仕事に没頭した。時間は瞬く間に過ぎて行くが、こころの奥底の満たされない欲求は19歳の頃のままだった。多くの自己啓発セミナーに参加し、涙を流し、仲間と抱き合った。でも、答えは出ない。年月が流れた。

 ぼくのいのちは求め続けていた。 『おれは何のために生まれてきたのか。』 『おれが本当にしたいことは何なのか。』 と、腹の底から湧き上がる欲求は、衰えることはなかった。

 そして、出会いがあった。

《出会いで人は変わる》
 岡部明美さん(あけみちゃん)という女性です。そしてその仲間です。この出会いを書き始めると、これだけで何か月分もの連載になってしまいますのでまたの機会にしますが、とにかくあけみちゃんとの出会いは絶大だった。この出会いで、19歳の時から求め続けてきた答えを、20年の年月を経て、はっきりと手にすることができた。ぼくは39歳になっていた。

 真の意味で 『自分の人生を楽しむ』 ことに OK をだすことができた私。北澤工務店の家づくり然り、甘味cafe 空 での表現然り、19歳の魂に火をつける活動然り、、、、そして、ぼくはまた、旅に出ることを思い立ちました。それは、神々の座、ヒマラヤの地・・・。8000メートルの氷壁に神々が住まうヒマラヤを仰ぎたい。真の自分自身のために、行きたい。人生の一つの節目として、行きたい。

 しかし、ぼくを取り巻く環境は劣悪でした。8年間続けてきた龍ヶ崎ショッピングセンターリブラ店の撤退。10年続けてきた森で遊ぼうの中止。11年間毎月続けてきた2500件ものカタロ通信の停止。誰もが認める北澤工務店の中心的存在の二人の社員の退社・・・。理性的に考えれば、いま行くべき時ではない。もっと会社が安定し、先が見通せるようになってからでいいではないか。ナンバー2が育ってからでいいではないか。

《常に問題はある》
 でもぼくは知っている。会社は常に不安定だ。常に問題はある。先が見通せることなんて、有り得ない。ばくの心は定まっていった。そして、それを決意させてくれたのは、あの19歳の時からぼくを見つめてきてくれている妻の言葉だった。 『北澤工務店の社長としては絶対に今は行ってほしくない。行くべき時じゃないよ。でも、私の知っているおさむちゃんなら行くよね・・・。その気持ち、わかるから。』

 これまでにないとってもさわやかな気持ちで、旅の準備をすすめました。そしてその日は10月7日から23日と決めました。17日間も会社を留守にするのです。携帯電話も届かない。お客様に迷惑をかけるだろう。社員に、職人に迷惑をかけるだろう。それらはぼくの想像を超えることも承知した上で、出発前にできる限りの段取りをしました。ザックにたっぷりと夢を詰め込んで、いよいよ成田空港。出国までの時間、妻と静かな時間を分かち合いました。そして、下りのエスカレーターでぼくが見えなくなるまで、妻は手を振って見送ってくれました。

 次回から、神々の座・ヒマラヤトレッキングを連載します。

~ N0.104(平成20年11月号) ~

 12月になりました。辺りはすっかりベージュ色の冬支度を整え、季節の移ろいを楽しませてくれています。いかがお過ごしですか。風邪などひいておられませんか。

 11月は盛りだくさんの一ヶ月でした。

≪コクーンのコンサート≫
 『11月20日に土浦に行くから、空~くう~でミニコンサートをやって、その後おいしいお酒でも飲もうよ』 との会話から、突然決まった今や人気者のコクーンのコンサート。ちょうど空~くう~も一周年。この一年お世話になった方々をお招きしよう、ということで60名の方々にお集まりいただきました。
 参加していただいた方は、皆、感じていただけたはずです。 『人生っていろりろあるよね』 『わたしは、わたしらしく生きていいんだよね』 『ほんとうに大切なことを忘れかけていたよ』・・・・・

 狭い会場は、そのあふれる感情でいっぱいに包まれました。妻とふたりあいさつで前に立ったとき、そのあたたかな目線に包まれたぼくたちは、言葉につまりました。言葉にならないんです。ぼくたちは支えられている。これでいいんだ、って。

  1時間予定のミニコンサートが
 1時間38分のフルコンサートに・・・。

 またぜひコクーンを呼びたいな。。。
そのコクーンのCDや歌詞集が空~くう~に
置いてありますので、ぜひお求めくださいね。



≪市の日≫
 11月24日には 『第8回 市の日』 が開催されました。お天気に左右されやすい企画。予報は午後から雨。
 寒くなることが予想されたので急きょ 『なんちゃってミネストローネ』 を200人前作り、職人には焼きそば200食、フランクフルト100本を担当してもらいました。
 出店者は、例年よりも多い、23店舗!!!カタロに所狭しと作品たちは並べられました。
 10時の始まりには、すでに行列ができていました。そして午前中で300人に迫る来場者。午後からは予報どおり雨が降ったものの、4時の終了時には350人という大勢のお客様をお招きすることができました。
 素敵な作品に出会った皆さんて、ほんと、笑顔なんですよね。すってきな笑顔。

 ぼくの仕事は家をつくること。でも、建てたら終わりじゃなくって、もっともっと深くつながりたい。もっともっといっしょに笑い、いっしょに涙したい。これからも北澤工務店を見ていてくださいね。

≪ヒマラヤのお話の続き・・・≫
 話はガラリと変わります。
 翼は飛び立ちました。ヒマラヤの地に向けて。
 この旅は、間違っていたのだろうか。ほんとうにこれでいいのだろうか・・・。水平線に浮かぶ雲を見つめながら、社員の顔が浮かぶ、家族の顔が浮かぶ。。。思考はめぐります。でも、始まったのです。
 余談ですが、飛行機って、追い風では離陸できないんですよ。紙飛行機も、ラジコンも、グライダーも、ジャンボジェット機も、戦闘機も・・・、みんな向かい風に向かって飛び立つ。追い風では飛び立てないんだ。
 人生も同じかもね。順風で追い風の時には、そこから抜け出せないものだ。飛び立てない。逆境にあって、苦難があって、悲しみや問題という向かい風があるからこそ飛び立てるのかもしれないね。
 さらに、飛行機の事故って致命的なんだけれども、『離陸3分着陸8分』って言われるんだ。そこに致命的な事故が集中している。巡航フライトの時には事故は起きにくいものなんだ。
 これも人生を比ゆしている気がしますよね。

 さてさて、ぼくは飛行機をバンコクで乗り換え、
無事ネパールカトマンズ空港に到着しました。茶
色の世界です。そこは、文明社会から来たツーリ
ストにとって、驚きの連続の地です。
 学生時代、ぼくが旅をしてきた地は、いつも茶
色の世界だった。ぼくの血が騒ぐんだ。

 ガタガタ道を行き交うおんぼろ車。鳴り続けるクラクション。自転車を改良したリキシャ。堂々と道を横断する牛、相当な重さであろう荷物を頭に載せて歩く人々。土埃の中を通りかかるとじーっとぼくを見つめる人々。『ナマステ』と言えば、真っ白な歯を見せてニッコリ『ナマステ』と返ってくる。
 あの喧騒、あの空気、あの風、あのエネルギー。
 ぼくの魂が喜んでいるのがわかる。顔もゆがみっぱなし・・・。

≪ポカラへ≫
                    この日カトマンズは、ネパール最大のお祭り『ダイサ
                   イン』のクライマックスの日。どこもかしこもお休みで
                   す。みんな田舎に帰って家族で過ごすのだそうです。想
                   像していたよりも立派なホテルに泊まり、翌朝ガイドの
                   フールさんとポーターのダネさんが迎えに来てくれまし
                   た。
                    日本語ができるフールさんは公認のガイドでいつもニ
                   コニコしているのですが、ダネさんはとってもシャイ。
                   実はフールさんの弟で、現在学生さんなのだと言う。
                    現地のツーリストエージェントからは、トレッキング
                   の基点となるポカラまで飛行機の利用を勧められたが、
                  『ゴトゴトガタガタ』いいながら村々を通過してゆくバス
                   で行くことにしました。7時間の行程です。

 絶対にガイドなしではわかんないよ!と思えるような場所に、ポカラ行きのバス停はありました。荷物を積み込み、いざ乗車。
 乗ってみると現地人のほか、西洋人が多く乗っていました。

 ネパールの首都であるカトマンズから少し走ると、車窓から眺める景色は遺伝子なのか魂なのかわかりませんが、ぼくのお腹の奥底にある懐かしい記憶が広がっていました。
 走り回る子供たち。牛や羊やヤギ、ニワトリに犬や猫。そして遠くに目を向けると神々の座と呼ばれるヒマラヤの峰々がぼくを誘うのです。
それはまるでスクリーンの中を旅している
ような感覚です。でもスクリーンと明らか
に違うのは、その匂いであり、その振動で
あり、そこに感じるエネルギーであり、人
とのふれあいです。
 途中昼食をとり、またガタゴトとバスは
走り出し、予定通りポカラに到着しました。
でもこの時も思ったんです。こんなところ
に降ろされたって、ガイドがいなかったら、
どこに行っていいのかわかんないよ!!と。

≪ポカラからフェディーへ≫
 ポカラは、フェワ湖という大きな湖がある小さな町です。トレッキングの拠点として、多くのツーリストでにぎわいます。フランス人を始めとするヨーロッパ人が最も多く、次いでインド人、韓国人、中国人、そして日本人という感じでしょうか。日本語メニューのレストランがあったり、日本語で話しかけられたりすることもありました。
 フェワ湖には、ポカラの象徴マチャプチャレ(6993)の姿が映し出されます。ちょうどスイスのマッターホルンのような存在です。マチャプチャレ、その、剣の様にそびえ立つヒマラヤの秀峰は『ホーリーマウンテン(霊峰)』として、いまでも登頂が禁止されているそうです。朝目を覚ますと、その秀峰が圧倒的な存在感でぼくを迎えてくれました。これからあの山の近くまで行くんだ。

 これから10日間のトレッキングの始まりです。
行程は往復約180㎞。さてさてどんなハプニン
グが待ち受けているのやら。。。

 と、ここまで書いてきて思うのですが、
会社はどうだろうか。家族はどうしているだろう。
お客様に迷惑がかかっていないだろうか。PTA
も大変なはず。。。とは、もちろん時々は思い出
すものの、目の前に現れるドラマにこころが完全
に奪われていたことがわかります。今更ながら、
社員に、家族に、仲間に、感謝です。


≪あとがき≫
 カタロ通信の郵送を停止させていただいて3ヶ
月が経ちました。『楽しみにしていたのよ』と、
たくさん声をかけていただいています。お葉書や
お手紙、FAXも頂戴しました。ほんとうにあり
がとうございます。いつも一方通行のカタロ通信
ですが、こうして支えられていることがうれしく
てうれしくて。
 いつかまた、再開できるようにがんばります。

~ N0.105(平成20年12月号) ~