〜 N0.35(平成15年2月号) 〜

〜 N0.33(平成14年12月号) 〜

〜 N0.32(平成14年11月号) 〜

〜 N0.34(平成15年1月号) 〜


〜自分の娘に振り袖を着せたような家づくり〜
竃k澤工務店

301-0855 茨城県龍ヶ崎市藤ヶ丘7-1-7
TEL 0297-60-1333 FAX 0297-60-1666 
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おさむのひとりごと

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〜 N0.31 (平成14年10月号) 〜

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 いかがお過ごしですか。先月号のひとりごとで書かせていただいた内容がとても好評で、たくさんの方から声を掛けていただきました。取手市のN様にはご丁寧なお手紙を頂戴し、また長山のH様には、わざわざ事務所まで起こしいただきました。有り難うございました。中でも田舞徳太郎氏の『人は困難に出会ってはじめて人間的真価を問われる』の文には、学校の先生を始め、数多くのご感想を頂戴しました。やはり、困難や障害のない方はおられないのですね。そして、理想が高ければ高いほど困難や障害の壁は高く、ブ厚いのかもしれません。言い換えれば、困難や障害のない人生が素晴らしいのではなく、困難や障害から逃げずに挑戦している姿こそ、真の価値ある人生の醍醐味なのかもしれませんね。共感していただける方、お互い頑張りましょうね。
 ところで話はぐるっと変わるのですが、先日八原小学校の創立記念日がありまして、ちょうど良い機会だからということで、『ディズニーシー』へ行ってまいりました。ディズニーランドは毎年のように行っているのですが、ディズニーシーは初めてです。午前中仕事をして午後からゆっくり出かけたのですが、大きな混雑もなくゲートに到着。子供たちには行き先を告げていなかったので看板を見た瞬間に、それはもうおおはしゃぎ。期待に胸が膨らみます。入場すると、そのスケールの大きさに圧倒されました。ディズニーランドとは全くコンセプトが違うということが一瞬にして理解されました。しかし、平日というのにヒトヒトヒト人・・・。ディズニーランドのようなファンシーな感じはないので、どちらかというと若い大人のカップルが多いようです。でもホント、ディズニーってすごいなーと思います。一人の人間が掲げた理念が、小さな輪から大きな輪になり、やがて国家宗教、人種、老若男女を超えて、時を越えて人々に感動を与え続けている。それは偶然のものではなく、園内を見渡すと、いたるところにウォルトディズニーの理念が有形無形の形で散らばっているのです。イベントに、通路に、トイレに、スタッフに、建物に、すべてに!!・・・・。
 一周年記念の夜のイベントで、湾の中央にミッキーが現れました。そのミッキーが大きく手を振ると、みんなが手を振る。そして音楽に合わせて踊り、花火が舞う。やがてクライマックス。何万人もいる会場がシーンと静まった後、ミッキーがメッセージをくれるんです。大きく私たちを抱きしめるように、『みんなどうもありがとう!どうもありがとう!!どうもありがとう!!!』・・・グッ・・・・私は不覚にも目頭が熱くなり、水中に消えていこうとするミッキーに『ミッキーッ!!』と思わず大きな声を出し・・・・・ところでうちの子供たちはどこへ行った・・・?いつの間にか子供そっちのけで夢中になっていたのは私ばかりかと思いきや、女房を見つけると彼女は子供の手を引きながら赤い目をこすっていた。回りの人たちも・・・。迷惑なのは子供たち。『お腹すいたよー、のどかわいたよー。』と連発しておりました。
 考えてみればウォルトディズニーカンパニーは、私たち北澤工務店と同じ、一企業なんですね。我々にもきっとウォルトディズニーカンパニーと共通の部分、達成できる部分があると思うのです。まだまだいたらないところや、うまくいかないことばかりなのですが、帰り道、事業に対する意欲がまたもやメラメラと燃えてきた私でありました。・・・・カタロリビングデスクパンプ店オープン記念抽選会および、東京ディズニーシー抽選会にはたくさんのご応募を頂き、誠に有り難うございました。特にパンプ店まで、遠くからお越しくださいました方も多く、心よりお礼申し上げます。抽選の品数が少なく、当選されなかった方には申し訳ございませんでした。これからも皆様のそばで、常にお役に立てる会社づくりに励む所存ですので、改めまして、どうぞよろしくお願い致します。***『横長で読みづらい』とのアドバイスをいただきましたので、工夫をしてみました。いかがですか。

 めっきり秋らしくなりました。いかがお過ごしですか。秋といえば運動会ですね!先日保育園の運動会に行ってまいりました。いやーホント先生方には頭が下がります。あれだけの準備と、あれだけの子供たちの教育、しつけ。安全に、しかも楽しい思い出の運動会をつくるまでの経緯は、相当なご苦労があったのではないかと思います。それが仕事であるとはいえ、本当に素晴らしい運動会でした。女房の実家からも運動会前日からお弁当のおかず持参で、遠く小山から来てくれました。朝に花火が上がり、子供たちの気持ちも少しずつ高ぶってきたようで・・・。沢山の思い出が残った運動会ですが、特に印象が深かったことをひとつふたつ・・・。北澤家は皆ガタイが大きく、足が遅いんです。ホント遅いんです。私などはいつもビリでして、それで、なぜか子供の頃って、足が速いやつがもてるんですよね!いつも横目で寂しい思いをしていました・・・。しかし今年は違いました。次男坊秀平が見事かけっこで1位に!!!北澤家始まって以来の快挙です!特に同じクラスのK家と張り合った姿は印象的でした。(親が張り合っているだけかもしれませんが・・・ね、Kさん!!)また、お遊戯では日頃やんちゃな子供たちが大きな声を出して、動きを合わせて踊っていました。子供が生まれた頃を思い出したりして・・・、何度見ても感動的なプログラムですね。また、親の出番も多かった運動会でもありました。私も女房も必死になって格闘した場面・・んんん・・・あの場面はなかなか文章にできませんが、けっこう楽しんでしまいました、私と女房。そしてカタロ通信を読んで下さっている方も多くいらっしゃいまして、声をかけていただきまして、本当にありがとうございました。何か恥ずかしいやらうれしいやら・・・子供の運動会だ、なんて軽く考えていた私が、実は一番楽しんでいたのかもしれませんね。皆さんの運動会は、どんな運動会でしたか?
 話はぐるっと変わるのですが、この2ヶ月で2回『北澤さん、言ってることとやってることが違うじゃないですか!!』とお叱りを受ける場面をつくってしまいました。私にとりまして、この言葉以上に厳しい言葉はありません。新店舗を出店したり社員数が増えても、一人のお客様に接する機会は同じですから、どんなことがあってもこれまでと同じように、いや、これまで以上に良いサービスをお客様に提供しなければならないのに、どこかでねじが緩んでしまったのかもしれません。新しいことばかりに目を奪われて、足元をきちんとしていない自分に対し、警告を与えてくださったのだと思います。まず私は初心に帰って心を引き締め、お客様に素直に向かい合う心を常に忘れることなく仕事に励むことを、自分自身に誓いました。全ては、一つ一つの積み重ねですから、これを財産とできるように頑張ります。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

めっきり寒くなってまいりました。風邪をひかれている方も多いようですが、いかがお過ごしですか。今回で33回目、原稿用紙にして100枚目になるひとりごとですが、継続する、というのは何かにつけて大変なことです。私の場合、『よし、減量するぞ!』とか、『朝早起きをしてウォーキングをするぞ』とか、『日記を書くぞ』などと始めはするものの、三日坊主の常習犯。唯一続いているものは家族に対する思いと仕事に対する情熱、そしてこのひとりごとくらいなものです。特にこのひとりごとに関しては尻をたたいてくれる人がいるので、否が応でも続いているのかもしれません。そういう人って必要かもしれませんね。
 今回は、弊社の社員さんのKさんをご紹介したいと思います。Kさんは北澤工務店に23年間も勤続されている大ベテランの棟梁です。7kmも離れた自宅から、雨の日も風の日も、暑くても寒くても自転車で通って下さってます。私が中学一年生のときからですから、ホントすごい方です。
 私は一時会社の合理性のことばかり考えていて『工事はすべて外注にしていこう』と考えており、定年を迎えた方を積極的に退職へと導いてしまいました。そのとき、突然の出来事に恐らくKさんは大きな戸惑いと不安を感じられたと思います。ご家族の皆さんも、それ以上の動揺があったに違いありません。今思えば、社員さんの人生を預かるといっても過言ではない経営者として、本当に申し訳のない行動であったと反省しています。
 北澤工務店らしい家づくりとは、合理性だけでは成し得ないものであることに気づいたのです。現在ほとんどの工務店さんが大工さんを雇用していません。大工さんの技術をさほど必要としない作り方になってきています。しかし、これから私の理想とする家づくりは、コンピューターによるプレカットとか、既製品の新建材ではできない、手作りの味わいがふんだんに感じられる家です。技術者が必要です。
 現在は社員、準社員の大工さんが6人、専属の大工さんが4組という構成に再構築しました。活気があります。そしてKさんには準社員さんということで今まで通りの様にご活躍いただいています。Kさんの作った和室などを見ると、その技術レベルの高さにしびれるほどの感動を覚えます。すごい技術です。体力は20年前と同じというわけにはいきませんが、技術者としてはこれからが旬なのかもしれません。
 先日社員さん全員で食事をした際、Kさんが酔っ払って私を呼ぶんです。『おい、おさむ、おさむ、・・・ちょっとこっち・・・・・、おさむ、俺よ、今よ、しあわせだぁ・・・・ありがとな・・・・。』そう、ニコニコしながら言ってくれたのです。グ、グッときました。頭でわかっていたことと、感じることは違う。数々の間違いやご迷惑をお掛けしながら生きている私ですが、感じる力だけは失いたくない、そう改めて誓った出来事でした。
 いよいよ師走ですが、今年一年の様々な出来事への感謝と、毎回ひとりごとを読んでくださっている方への感謝の気持ちを胸に、新たなる年を迎えたいと思いま
す。ありがとうございました。

 いよいよ新年です。今年は未年ということですから、私は年男、ということになります。振り返れば女房とかわいい子供三人、父も母も誠に健在ながらそれなりにシワも増え、時の移ろいをしみじみ感じたりする今日です。ある時ふと古い写真が出てきました。私が育った古い家の玄関の前で、父と私が笑顔で写っています。私が5.6歳の頃でしょうか。青いセーターを着て丸々と太っていた私を、作業着姿でニコニコしながら、その大きな手で私の頭を押さえています。平和そのものの風景です。それを見ていてびっくりしたんです。私、全く同じポーズで子供たちと写真を撮っていたのです。子供だった私が、父と同じ父になっている・・・。30年の時が流れた・・・。人生って面白いなあ、とつくづく感じたワンシーンです。皆さんもそんなこと、ありませんか。
 前回のKさんとの出来事につきまして、本当にたくさんの反響を頂きましてありがとうございました。昔は怒ってばかりいたKさんも、今は孫を抱いたりしながら穏やかな表情でその技を振るっています。ここにも時の流れを感じたりします。有効期限付の私たちの人生ですが、その中で、様々な出来事や出会いがあって、そのことがあとから見ると人生の節目や曲がり角であった、などということはよくあります。私の場合、以前に書かせていただきました佐々木先生がそうですし、多くのお客様との出会いやそのやり取りがそうです。中でも私にとりまして、人生における決定的な羅針盤をつくった出来事が20歳の時にありました。日本縦断徒歩旅行です。新年を迎えるに当たり、今回から何回続くかわかりませんが、書き綴ってみたいと思います。
 尾崎豊さんや、浜田省吾さんの歌の中には19歳の多感な時代を綴る歌が多く、ファンの方も多いと思います。まさしく私もその時代、何か自分の存在というものと、この世の中に生きなければならない自分の間に大きなギャップを感じていて、無力感というか、厭世的な気持ちにさいなまれた毎日を送っていました。世の中はバブルの絶頂期でした。ちょうどその頃妻と出会うのですが、頭を坊主刈りにして、無精ひげを生やし、SRというオートバイで爆音を立てて走っていました。読書はするものの、だんだん偏ったものばかりになり、親から仕送りをしてもらったお金で相当額をパチンコにつぎ込み、飲めない酒を吐きながら毎日のように飲んでいた・・・・。スレていく自分・・・。このまま生きていても仕方がないのではないかと・・・。今の自分からは想像もできないような自分がいました。
 上温湯隆の『サハラに死す』に刺激され、植村直巳の五大陸徒歩の冒険に心惹かれました。よし、俺も何か自分に試練を与え、そのことで何も自分に得るものがなかったら、生きる意味を見いだすことができなかったら・・・、否、必ず生きる目的を探し当てて見せる。よし、まずは日本を歩いてみよう。南から北まで。外泊せず、外食せず、車に乗らず、この三否で貧乏旅行をしよう。そう誓いました。しかし、こんな自分を如何ともし難い気持ちで見ていた父と母がいたことなど、知る由もない私でした。大学を休校し(退学届けを出したが、時期的に学費はかかってしまうとのことで休校扱いとなった)、テントにバーナー、なべや着替え、水筒や日記帳など、こんな経験などしたことのない私は、実に30キロに及ぶ荷物をザックに詰め込んだのでした・・・・。(次号に続く)
 話はぐるっと現実に戻りまして、おかげさまで大正ロマンの家がやっと完成いたしました。私たちの持つ家づくりのコンセプトを極力入れ込むということで、何度も何度も試行錯誤をしたために、大幅に完成が遅れました。その代わり、本当に素晴らしい家ができたと思います。是非、多くの方にご覧頂きたいと思います。お待ちしております。今年も『ひとりごと』を書き続けます!!よろしくお願い致します。

いかがお過ごしですか。昨年後半より大正ロマンの家の見学会が始まりましたが、実にたくさんのお客様にお越しいただいております。本当に有り難うございます。北澤工務店は、原則として捨て看板を立てておりません。数年前まではやっていたのですが、辞めました。ご存知かとは思いますが、あの行為は法律違反なんですね。立てているところをおまわりさんに見つかると現行犯で捕まってしまいます。後ろめたさを感じながらする仕事なんて、本物の仕事ではない、と思うのです。それと、雨風で倒れた、社名入りの看板が、車に踏みつけられている姿なんて耐えられません。更に加えて、ピンク看板とともに違反看板として回収されることに至ってはもう、何か、寂しさみたいなものを感じます。仕事に対する姿勢は、人生に対する姿勢と変わりないと思います。そんなことで、お越しいただくお客様には大変なご不便をおかけいたしますが、主旨をご理解いただきましてご容赦くださいませ。
 前回より連載がはじまりました、『日本縦断徒歩旅行』です。自分の存在意義や生きる意味に対して、悶々とし続けていた19歳の私。小山市にある地方大学『白鴎大学』に一年浪人して入学したものの、バブルの絶頂期であった当事の学生生活は、およそ自分の理想としていた学びの舎ではありませんでした。『サークル』と呼ばれるチャラチャラ集団。どんな名称が付いていても、夏はテニス冬はスキー。毎晩のように繰り広げられる『コンパ』。おそろいの派手な蛍光色のスタッフジャンパーを着て、ハイソカーと呼ばれる高級車で夜遅くまで遊びまくり・・・・・。(今思えば、なんですが、結局私はその仲間に入りたかったんですね、きっと。なのに、それを否定することによってしか自分の存在をアピールすることができなかった。)とにかく、居ても立ってもいられなかった。これが学生生活なのか、と。次第に校門をくぐる回数が減っていき、自分の世界に閉じこもっていくのでした。唯一、私の存在を認めてくださったのは、私の借家近くの八百屋のおばちゃんとおじちゃん。それとそこに集まり、昼間からえげつない下ネタ話や世間話に花を咲かせる近所のおばちゃんたちでした。その証拠に私、バレンタインデーにこのおばちゃんたちから14個もチョコレートもらったんですよ!!!(若い素敵な女性からはゼロ・・・・・。)本当に楽しい方ばかりで、この八百屋さんの小さな丸いパイプいすに座って話を聞いていると、何か私たちが失いかけている、大切なものを感ぜずにはおられませんでした。
 結局、一年間で私が取った単位は、たったの14単位。親から毎月仕送りを10万円もしてもらっていながらこの始末。もし、自分の子供が将来そんなことやらかしていたら、どんな制裁を加えるだろうかと。今だからこそ思えるのですが、私のお父さん、お母さんはじっと私を信じ続けてくれていたのですね。言葉がありません。
 そして私は、これから自分はどうするのか、その答えを求めて、大きなリュックサックに夢を詰め込み始めました。
 テントに寝袋にマット。ガスコンロに食器。季節ごとの衣類と着替え、米と調味料。トイレットペーパーに水筒。ヘッドライトに雨具に少しのお金・・・・。母親は、心配だからこれだけは持っていってくれと、分厚い封筒を持たせてくれました。何しろ私にとって、全く初めてのこと。日本というものが果たして徒歩で歩くことのできる大きさなのか、何が自分を待ち受けているのか。
 まずは沖縄まで渡ってしまうことにしました。東京から3泊4日の船旅です。電車で有明埠頭まで行くとき、その八百屋さんの娘(現在の妻)が送ってくれました。小雨降る中の別れ・・・・。ほとんど会話という会話はなかったと思います。ボーッという汽笛が鳴り、フェリーは有明埠頭の岸を離れ、沖縄県那覇港へ向けて出港しました。人生は、誰もがドラマの連続だと思います。これからも私は、ドキドキワクワクするような人生を主体的に歩んで行きます。そして、そんな思いをこの『北澤工務店』にぶつけていきます。本格的な冷え込みが続きますがお身体ご自愛下さい。