〜 N0.47(平成16年2月号) 〜

自分が動こうと動かなかろうと、時代は激変のときを迎えているように見えます。何が起きるかわからない。だから、動かされるのではなく、主体的に、前向きに、変化を自らつくりだして行こう。今年はそんな思いに奮い立っている私です。皆様はどんな新年を迎え、どんな志を立てられましたか。
日本縦断徒歩旅行最終回です。北海道はでっかいどー。なんてくだらんしゃれを一人でブツブツいいながら歩きました。雷電という町で数日間テントを張りました。雷電メロンで有名な町です。古市さんというライダーととても親しくなり、将来の夢や理想を語り明かしました。ここでまたあの『和田さん』にお会いするわけですが、焚き火をしながらの三人での語らいは、今でも忘れられません。地元のおじいちゃんがお祭が近いとのことで、ひっきりなしに差し入れを持ってきてくれる。パンの耳ばかり食べていた私にとって、非常に居心地のいい場所でした。小樽では『オタモイ海岸』で3日間テントを張りました。『堂守』と言われるおじいちゃんおばあちゃんからいろんな話を聞きました。冬は人っ子一人来ない断崖絶壁の地です。何十年もひっそりとお地蔵さんを守り続けるその姿に、敬虔な信仰の世界を深く感じました。留萌近くの砂浜では、家族連れのキャンパーの仲間に入れていただきました。汚い身なりの私を、一枚の毛布に共に包まってお酒を交わす。人のやさしさあたたかさを、これでもかと言うくらい経験させていただきました。そしていよいよ目的地『宗谷岬』が近づいてきました。
宗谷岬に着くであろう前夜、テントの中で私は考えていました。『その時、俺はいったいどんな表情で、どんなことを感じるのだろうか』
充分目的は達成することができた。最北の地まで、生きる意味を求めて歩き続けてきた自分。明日で那覇港を発ってから110日。いろいろな人がまぶたの裏に浮かぶ。みんな親切だった。みんな優しかった。みんなあたたかかった。俺はこれから恩返しをしなければならない。なんとしてもこの一度きりの人生、生き切らなければならない。人様の役に立つ人間にならなければならない。・・・この夜、薄明かりのテントの中で、気負いにも似た感情を強く感じ取っていたことをよく覚えています。
オホーツクの海はどんよりと曇っていた。稚内から宗谷岬までの道のりはうねうねとカーブが連続していた。なかなか先が見えない。・・・・・・・・・・・・・・・
淡々と歩いていると小さく左手前方に三角の碑が見えた。『宗谷岬・・・・』と思ったとたんに、熱いものがこみ上げてきた。なぜかわからない。でも俺、たぶん、一生懸命歩いてきたから、がんばってきたから・・・何やっても中途半端な俺が、はじめて1から10までやってのけたから。・・・お父さん、お母さん・・・俺、着いたよ。いろんな人のお世話になって、たくさんの人に励まされて、だから、一人で歩くことができた。『う、うゥゥ・・・・』そんな音しか出てこない。その地には20名近いライダーが集まっていた。古市さんが集めてくれたらしい。宗谷岬までの砂地に花火が用意されていた。そして僕がその地に立つと、なぜかみんな上半身裸になっていた。『バンザーイ!!バンザーイ!!バンザーイ!!!!』・・・・・ありがとう、ありがとう・・・。みんなの心がひとつになっていることを感じた。このときの私は、すでに宗谷岬に対する感傷はなくなっていました。たった一度の人生を生き切ると自分に誓った私は、早く帰って外国の情報を集めたくて仕方なかったのです。事実、その後の私は『ぷー太郎』よろしく、シルクロード徒歩旅行にチャレンジし、サハラ砂漠自転車旅行、韓国縦断自転車旅行、台湾オートバイ旅行・・・・・とエスカレートしていきました。
しかし、私にとってこの『日本縦断徒歩旅行』に勝るチャレンジはありませんでした。ただただ純粋に、生きる意味を求めて歩き続けた。20歳の旅行で得たこの財産は、今の私の血となり肉となっています。
家に着くと92kgあった体重は76kgになっていました。ひげ面のぼさぼさ髪の毛に日焼けした真っ黒な顔、『目だけがギラギラしていた。』とは妻の弁。でも、こんな経験させてくれた両親に感謝の目が向くようになったのは、ほんの、つい最近のことですから、親業も大変ですね。
先日、第2回目となる『カタロ市の日』が開催されまして、多くのお客様にご来場いただきました。ケーブルテレビの取材もあり、大変にぎやかなうちに終了することができました。そして、父の作ったさつまいも、通称『こうちゃんやきいも』も大好評でした。このひとりごとのご感想をいただいたり、『やきいものために来たのよ!』なんていう方がいらっしゃったり、有意義な一日を過ごさせていただきました。本当に有り難うございました。今年も益々張り切ってひとりごとを綴っていきます。ご感想などお聞かせいただけると嬉しいです。ではまた。
新年のごあいさつで、『今年も相変わらず、おめでとうございます。』というのが慣例のようですが、激動のいま、果たして『変わらない』ことがおめでたいことなのか。そんなことをふと思いました。
今年の正月に関わらずなんですが、何か、季節感というか、情緒というか、文化というか、そういうことを感じにくくなったのは私だけでしょうか。大晦日のテレビ番組はプロレスと紅白でしたし、特集番組は子供の目を覆いたくなるような品性のないものばかり。昨年は知覧の特攻隊を勉強させていただき、年末年始は吉田松陰と新撰組を読みふけりました。志とか、大儀とかを強く意識し始めた私としては、世相に対し何か寂しさというか、やるせなさみたいなものを感じました。皆様はどうお感じになられましたか。
前回で終了させていただいた『日本縦断徒歩旅行』の連載について、たくさんの方からご好評をいただきました。誠に有り難うございました。その後、右へ行ったり、左へ行ったりしながら、今の自分がいます。今だからこそ父の後を継ぎ、こうしてお客様や社員、職人さんに支えられ、看板を背負って仕事をしている私ですが、荒れてたんです。特に19歳20歳の頃は。その厭世的な気持ちは、お恥ずかしい話ですが、子供ができる26歳ぐらいまで続いていました。5厘刈りの坊主頭にして、飲めない酒を一人で吐くまで飲んだり、汚い格好をして放浪したのもその流れです。尾崎豊をボリューム一杯にかけて泣きながら叫んだり、生きている意味とか、存在の理由とか、見つからない答えを見つけようと、もがいていたんです。そんな自分を、両親はいつも見ていてくれたんですね。はれ物を触るように。今になってやっとわかります。ある時『おさむは、いなかったものと思うしかない・・・』と父が母に言った事があるそうです。母は泣いたそうです。格好つけるつもりは毛頭ないのですが、そんな時が今の自分を励ましてくれています。宝物の時でした。 お母さんの話しが出ましたので、ここでお母さんの話。当たり前ですけれど、お母さんはやっぱりすごいです。この季節になると、いつもお母さんは『ならせもち』を準備してくれます。リブラとパンプに飾っておいたのでご覧になられた方もいらっしゃるかと思います。木々の葉が枯れてしまうこの季節ですから、紅白のもちを実になぞらえて、家族の健康と繁栄を祈願したのが始まりだとか。寒いのに、前の日にもち米をといて水に浸し、朝早く起きて火を焚いて、かまどでもち米をふかし、ついて丸めて片付けて、枝振りの良い椿を見繕い、お母さんは労を惜しまず、毎年毎年準備してくれます。以前はそんなお母さんの行為を拒んだり、軽く流したりしました。でも、毎年毎年、忘れずに準備してくれます。毎年毎年。昨日、お礼の電話をしました。なんか、声を聞いていたら、熱いものがこみ上げてきてしまうんですね。お母さんは毎回毎回同じ言葉。『あんまりむりすんなよ、からだ気をつけて、がんばれよ・・・』これ以上の言葉はきっとないんですね。お母さんはやっぱりすごいです。もちろんお父さんもすごいんですが。
時々お子様のことについてご相談を受ける事があります。就職しないとか、すぐ辞めてしまうとか、離婚とか、ぷらぷらしてるとか、いろいろあります。でも、これは勝手な私の持論なのですが、こんな滅茶苦茶な時代、迷わないほうがどうかしている!!苦しまない方がおかしい!!特に、三度の飯に事欠かず、お金も時間も学歴も、平和も安全もポルノも、誰でも手にし、手に入れられるこの時代。インターネットで『自殺』というキーワードで検索したら、皆さん驚くはずです。若者の間でどんな会話がされているか。苦しんで、もがいて、志を奮い立たせるような光を見つけるのは、命懸けです。それは、昭和の大人には到底理解し難いと思います。『それだけお前たちは幸せなんだ・・』なんて言葉で済まされてしまいそうですが。で、何がいいたいのかと申しますと、悩み、苦しみ七転八倒いいじゃないですか。ということです。問題障害ドンと来い、ということです。七転び八起きではない。七回転んでも八回目は起てるかもしれないなんて、そうは問屋が卸さない。七回倒れたら八回目もぶっ倒れる。それが最高の人生。そう感じたら怖いものはありません。困難が有るから『有り難い』。困難が無い人生は『無難な人生』。たった一度の人生ですから、無難な人生なんて嫌です。私は。と、年初め早々から押し付けがましく、堅苦しいお話になってしまいました。
さ、正月気分を入れ替えて、今年も素晴らしい出会いを求めてわくわくドキドキ。改めまして、どうぞ宜しくお願い致します。でも、そろそろ花粉症が・・・・・・
本格的な花粉症の季節がやってまいりました。いかがお過ごしですか。
ホームページでご案内させて頂きました『謎のチョコレートおじさん』は、次号に変更させていただきます。あまりにも文が長くなってしまうものですから・・・
前回2月号の『ひとりごと』は、いつもにも増してお手紙やメールなどの多くの反響を頂きました。誠にありがとうございました。特にお母さんのこと、七転八倒のことについては反響が大きかったです。皆誰もが重い荷物を背負っているんですね。見えない鎧を着けて一所懸命生きているんです。うまくばかりいっている人なんていないんですね。その中で、メールを頂きました小川様の一文をご紹介させて頂きたいと思います。(ご本人承諾済みです)・・・・・今日は、ちょっと感じた事、北澤さんに共感する事、ちょっと、会社を置いといて・・・個人的なメールです。私も父とすごい葛藤の時期がありまして・・・(北澤さんのように・・紙面で発表できないですが・・)
この創作菓子おがわ (有)おがわ って私が創業なんです。20歳で、母が突然倒れ・・東京の修行先から帰宅した時は、時すでに遅し・・冷たい手は、私の脳裏に深くあります。父との方向性の違いから、バック一つで、再度東京に出た時は、想像以上に生きてく事が辛かった時期でした。そういう時期が2年あって、心のバランスも整い、自分で自分のお金で・・小さなお菓子屋を開業できたのが・・7年前です。そういういきさつが、前回のカタロ通信の北澤さんにも、ちょっと感じて・・ちょっと嬉しかった?そういう気持ちです。また、今回の商業施設のオープン日は、母11回目の命日なんです。何も無くした・・11年前、今年の3月18日・・北澤様を始め、皆様のご縁・ご支援に感謝して・・頑張って行きたいと・・考えております。伝々・・・小川さんは、この度つくばのグランプルシェに新規出店されます。皆さん、応援してください!!
先日龍ヶ崎市のY様邸が新築建替え工事のため、旧家屋の解体工事が行われました。その時、体にびんびん響く出来事がありました。
60年以上経過したお住まいです。荷物もたくさんありました。埃やチリもその年数分だけ積もっていました。世代を超えた荷物もあふれていました。しかし、・・・しかし、解体を迎えた前日訪問してみると、おじいちゃんがぽつんと家を見上げながら立っていたのです。そしてその中身は、『見事!!』の一言に尽きました。全くきれいになっていました。ゴミ一つなく、置き去りにされるものもなく、全く見事な老体の家が、凛として建っていたのです。普通なら、解体の前日ですから土足で上がっている場合がほとんどなのに、、、です。正に『凛』として建っていました。黒光りした柱にほおずりしたくなる気持ちでした。素直に手を合わせたくなる気持ちでした。その日の夜、電気も切られた思い出の部屋で、懐中電灯を持った奥様と娘さんがごろんと横になって、天井を見上げながら、二人で涙を流したそうです。
人間として生きていくうえで最も大切なことを知りました。それは、『初め』ではなく、『終わり』なのだと。1月1日、初日の出を拝む人はたくさんいるが、12月31日の夕日を拝みたくなった。新車は誰でもきれいにするが、廃車前の使い古したポンコツを磨いてやりたくなった。新しい靴下を洗濯するように、穴があいてしまった靴下の最後はきちんと洗ってやりたくなった。工事始めの近所挨拶も大切だが、終わった時にはそれ以上の気持ちを込めて挨拶にまわろうと思った。新しいお客様にばかり目を奪われるが、これまでお世話になったお客様こそ大切なのだと感じた。
元を忘れず、末を乱さず、家族の成長と共に年月を積み重ねてきたY様邸の家が、最後の最後まで家族に大切にされて、潔く解体されていきました。
やはり私たちは、何か大切なことを忘れかけています。うわべだけキレイで体裁が良くても、中身はぐちゃぐちゃ。合理性と快適さを優先し過ぎました。自分自身、そんなこと解かっていながら、やっていない。勉強し過ぎです、頭でっかちなんです、私たちは。もっと、もっと、心おだやかに、自分に耳を傾けてみたら、大自然に抱かれてみたら、聞こえないものが聞こえてくる。見えないものが見えてくる。感じなかったことが感じてくる・・・・。そう、強く感じました。
解体の現場でこれ程心を打たれたことはありませんでした。もう、姿も形もありません。おじいちゃんは、『北澤さんよぉ、この家にまげねぇ家つくってくろよなぁ』その跡地を見ながら私にそう話すのでした。
仕事って素晴らしい。感じようと思えばいたるところに感動がある。仕事を通して最高の人生を歩んでいく。家づくりへの深い思いを新たにしたのは申し上げるまでもありません。
3月7日(日)に『第3回カタロ市の日』が開催されます。なんと今回は20店舗!!!です。それぞれが個性のある『ほんもの』ばかりです。私も一日温かいものをお振る舞いさせていただきます。どうぞお誘い合わせの上、お越し下さい。
早いものです。4月です。花粉症との闘いもあと少しです。
先のご報告にもあります通り、3月7日(日)盛大に『第3回カタロ市の日』が開催されました。436名のご来場を頂いた当日、駐車場の混雑とカタロ内が大変混み合い、遠方よりご来場いただきました皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしました。心よりお詫びとお礼を申し上げます。それにしてもあの賑わい、、、、凄い一日でした。
なぜ北澤工務店が『市の日』なのかと申しますと、私共が建てていきたい家づくりの方針と、市の日にご出店していただいているオーナー様の作品群の方針が一致しているからです。やはり時代は『ほんもの』『手づくり』『自然素材』『やすらぎ』『健康』そういった方向にシフトしたようです。今回弊社の女性陣と共に作ったスープ『ミネストローネ』も大大好評で、『完売』しましたし、オーナー様も3店舗が完売するという結果となりました。次回は秋深まる季節に開催予定です。お振る舞いのスープも『クラムチャウダー』と決めておりますので、今回お越しになれなかった皆様も、是非お誘い合わせの上ご来場下さい。きっと心豊かな時間が過ごせると思います。
先日《ラストサムライ》を観て参りました。感動しました。日本という国に生まれてよかった。日本人であることに誇りを感じました。失いつつある日本の素晴らしさをもっと学びたいと思いました。映画館を出て、しばらく言葉が出ませんでした。言葉より先に涙が溢れてくるのです。
映画の中のワンシーン『我々は、着るものも食べるものも、生活全てが近代化と称して西洋式を取り入れてきた。でも、これだけは、これだけは、何としても失ってはならないのだ・・・・・』と、忠に滅んだ勝元の剣を手にした時の、明治天皇の言葉。正に現代の日本人への警告です。
日本という国は、『美しい國』です。本当に美しい國だと思いました。景色が美しいとか、街並みが美しいではなく、人々の心が美しい。立ち居振る舞いが美しい。生き方が美しい。それが言葉や文字に表れています。『敬』『義』『孝』『忠』『礼』『誠』『道』・・・・。日本人だけが感じることの出来る世界があるように思います。
映画に感化されたからといって、私が世相を語るのも全く僭越ですが、でも、やっぱり何とかしなくてはなりません。それが何なのか。
私の知る限りほとんどの方々が、現代の信じられないような凶悪犯罪や少年犯罪、普通ではないと思われる社会現象を憂いてます。何とかしなければ、何とかしなければ・・・・・皆そう言っています。私もその一人です。では、一体どうすれば良いのか。何をすれば良いのか。社会がどうだ、政治家がどうだ、今の子供がどうだ、学校がどうだ、先生がどうだ、いやいや親が悪い・・・、そんな抽象論を言っても、当たり前ですが、何も変わりません。行動こそ真実です。
だから、自分が『これだ!!』と思う、足元のことから始める以外にないと思います。もう既に行動している方も多いに違いありません。しかし、憂いてながら行動しない方がいるとすれば、問題に気づきながら言いっ放しの方がいるとすれば、それは単なる評論家、無責任な大人でしかない。その無責任な大人の集合体が、美しい日本という国を汚く、醜くしていく。
で、私はどうするのかと、、、、深く考えました。
私は小学5年生から柔道をしてきました。柔道は武士道を発端とする柔術の流れです。その時まず初めに教えていただいたのは、『礼に始まって礼に終わる』です。勝っても負けても相手を敬い、礼を失してはならない。美しい日本人の心です。
私はこの『礼』を実践します。お客様に対して、職人さんに対して、社員さんに対して、工事中の現場に対して、事務所や車に対して、礼を尽くしていこう。まず、誰よりも先にあいさつの実践。誰もいない事務所に帰ってきても『ただいまッ!』と大きな声で言ったっていいじゃないですか。事務所が喜びます。私の車は18万kmを越えていますが、『お疲れさん!』と言ってあげたら、そりゃ、喜ばないはずがありません。ご恩に対する礼、先輩、後輩に対する礼、いやいや、日本の『礼』美しさは、もっともっと崇高で、とてつもなく深い。《ラストサムライ》が伝えたかったことは、『日本人よ、目を覚ませ!』に尽きるのではないかと思います。その美しき日本の、一人の子孫として出来ることは何か、これからも建築という仕事を通して、求めていきたいと思います。
95歳になられる四国の詩人、坂村真民先生のことばです。『人は必ず死ぬ。しかし、前進しながら死ぬのだ。』今月もがんばりましょう!!
葉桜と青い空がとてもさわやかな今日、いかがお過ごしですか。
4月で私は37歳になりました。先輩方から見ればまだまだ子供、中学生や高校生からすれば『ええおっさん』。世の中の仕組みの末端を少しずつ噛み始めた自分です。
先日『徳川家康の経営学』という本を読みました。帯にはこんな言葉〜『守り』だけでは生き抜けない『攻め』だけでは生き残れない〜。現代に良く当てはまると思いました。
一. 人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。必ず急ぐべからず。
二.
不自由を常と思えば不足なし。
三.
勝つことを知りて負くることを知らねば、害その身に至る。
四.
何事も及ばざるは、過ぎたるに勝れり。
五.
・・・伝々
とても有名な家訓ですが、私は、知っているだけでした。これを本当に自分のものにすることができたら、よりほんものの人間に近づけるような気がします。いかが思われますか。
私が好きなのは3番です。負けること、とは『失敗すること』だと思います。家康は若いころ、いわれのない合戦に義を貫く為に自ら出て行って、武田信玄にコテンパンにやっつけられているんですね。多くの部下を失い、自らも命からがら帰還したのです。それが家康にとっては財産になった。
成り上がりはダメ。急成長はダメ。失敗が大切だぞ。と家康は言っているのだと思いました。この言葉に私は救われます。言い訳がましいのですが、相変わらず、失敗だらけです、私。こういう言葉に出会っていなければへこたれてしまうかもしれません。失敗して、ダメな自分を真正面から認め、この失敗が意味するものはなんなのか、神様はこの失敗を私に課して、何をさせようとしているのかを考えるようになりました。無駄な失敗は一つもないのだと信じています。そう信じなければ落ち込むだけです。前向きになれません。
それにしても、歴史から学ぶことは多いです。物質的な文明は進んだかもしれないけれど、精神面は進むどころか、劣っているのではないか。否、物質面でさえ、例えば建築で言うならば、古代の寺社仏閣を建てることが、果たして今出来るだろうか。壮大な歴史を辿り、自分のDNAを辿ることは、生きていくうえでこの上ない羅針盤になります。これからも進んで歴史を学んで生きたいと思います。(学生の時一番嫌いな科目が、年表を暗記するだけの歴史だったのですが、、、、)
先日、久しぶりに高校時代の恩師、あの、佐々木先生にお会いしました。私の母校、日本航空学園の柔道部が全国大会に出場する為、その応援に日本武道館へ駆けつけたのです。全く変わらない、あの風貌です。(ひとりごと2002年3月号から2002年5月号掲載)恩師の存在は、本当に大きいです。佐々木先生が『そこに立ってろ』と言えば、恐らく私はいつまでも、無限にそこに立っているでしょう。『出会いで人生は変わる』とは言い古された言葉ですが、本当にそうだと思います。たぶん、その出会いは遠いところにあるのではなく、ごく身近な、目の前にある縁だったりするのでしょうね。私にとって佐々木先生は、それくらい大きな出会いでした。3人の子供たちにも人生において是非『恩師』と呼べる方と出会って欲しいと思います。
わが母校ですが、最近何かと話題になります。高校野球の甲子園もそうですし、柔道を始め、バレー、ラグビー、等々が全国大会に出場しているようですし、テレビにも度々紹介されています。機会ございましたらば応援してください。
PRです。4月29日(木)と、5月9日(日)に、今年もお客様のご協力をいただいて『住まいまるごと大見聞会』を開催します。着工間もない現場から、数年間お住まい頂いている現場まで、総勢6棟を一挙にご覧いただける、年に一度の機会です。是非ご都合をつけていただきまして、お誘い合わせの上ご参加下さい。心よりお待ちしております。ホームページでもご案内しておりますのでどうぞご覧下さい。Yahoo!!で『北澤工務店』で出てきます。わくわくの新年度です。今月もがんばりましょう。