〜 N0.64(平成17年7月号) 〜


〜自分の娘に振り袖を着せたような家づくり〜
竃k澤工務店

301-0855 茨城県龍ヶ崎市藤ヶ丘7-1-7
TEL 0297-60-1333 FAX 0297-60-1666 
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おさむのひとりごと

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〜 N0.61 (平成17年4月号) 〜

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もう4月ですね。1年の4分の1が過ぎ去りました。いかがお過ごしですか。私は今、昨年の○百倍という花粉症と闘っております。あと、もう少し。苦しんでいる方、共に頑張りましょう。
 3月は、大きな気づきの勉強会がありました。『感性論哲学』の提唱者『芳村思風先生』の2泊3日の勉強会がそれです。この感性論哲学について私が語ることなど到底出来ませんが、日頃から感じていたもやもやを吹き飛ばすことができた貴重な三日間でした。その『感性経営五原則』と題した中の一つに、『問題を乗り越え続ける』という項目がありました。

 私は普段、どうしても問題がないこと、悩みがないことを願ってしまいます。大きな問題が来るたびに『もうこれ以上のことはないだろう。もうこんな問題はこりごりだ』と思ってしまいます。問題をなくすこと、悩みがないことを期待し、いい結果だけを望んでしまいます。そのとき、物静かな思風先生の一言でした・・・。『それは、楽がしたいだけです。』と。あッ!!という感触でした。俺は、日本の工務店のリーダーになる会社をつくるんじゃなかったのか。たった一度の人生を、たった一度きりのこの命を、何が何でも価値のあるものにしていくのではなかったのか!!口先ばっかりで、楽していい思いをしたいだけなのではないか!!沸々とした感情が奥底から湧き出てきました。『問題のない現実はない。』問題のない現実は、確かにありません。身近な問題から社会問題・国際問題まで、どこまで自分の問題として感じることが出来るか。だから、問題がないことを願うのではなく、問題があることを認め、その問題の意味と価値を深く深く掘り下げることが大事なのだそうです。問題は、自分を成長発展させる為に起きてくれているのだそうです。悪は、良きものへの道しるべなのであり、その為に常に問題はあるのだ、ということなのだそうです。だから、問題のないハッピーなんてありえない。問題を抱えながらハッピーを感じるんだ・・・んんん、私はこの言葉に唸りました。『決断するということは、多くの可能性の中から、一つの未来を選択することである』だから、決断とは、他の選択を捨て去るということだ。しかし往々にして、『決』はできても『断』ができない。『退路を断つ』とはこのことである・・・。確かに自分に置き換えると、何かを決めたものの、次々と出てくる障害に『あっちの方がよかったんじゃないか、もっと違う方法があったんじゃないのか、、、。』などと思ってしまうことがあります。これでは成長がないということですね。『選択肢が問題なのではない。どの選択肢を選んでも問題は必ず発生する。』だから、選択肢に問題があるのではなくて、その選択肢で発生する問題に対していかなる取り組みが出来るかどうかが問題なのだ。自分が選んだ道に命をかけていく。良いこともそうでないことも全ての現象には意味と価値がある・・・・。
 特に、『問題のない現実はない』という言葉は、それまで頭では理解していたものの、しみじみと心に響きました。そして、気持ちがスーッと楽になりました。自分が成長する、会社が発展するということは、『問題を乗り越え続ける』ことなのだということが、心底腑に落ちました。ただこんなこと書きますと、私にとっての問題とは多くの場合、お客様にご迷惑をお掛けしていることになります。そのお客様がこんな文章見たら、『お前の成長の為に迷惑なんてかけられたらたまらないよ!!』という声が聞こえてきそうです。また聞こえ方によっては、言い訳がましくも聞こえます・・・。でも、『ひとりごと』ということでどうか、ご勘弁ください。
 いよいよ暖かい季節となってまいりました。末っ子の秀平は5年間お世話になった保育園を卒園です。泣いてばかりで親元を離れなかったあのチビさんも、今では驚くほど大きくなって桜の下をくぐります。時間が経つ早さは驚異的です。たった一度の人生、やったもん勝ちですね。ではまた。

〜 N0.62(平成17年5月号) 〜

〜 N0.63(平成17年6月号) 〜

〜 N0.65(平成17年8月号) 〜

葉桜と青空のとても綺麗な今日、いかがお過ごしですか。
 春は始まりの季節です。ピッカピッカの一年生が事務所の前を上級生の後ろについて歩いていく姿、新歓コンパなる飲み会で大騒ぎしている学生の姿、フレッシュマンスーツに身を包んだ若者がまだ読み慣れない日経新聞を読んでいる姿、通り過ぎてきた自分をそのシーンに当てはめて、はたと初心を振り返る自分・・・。
 私が北澤工務店に入社したのは、平成5年4月のことです。『他人の飯を食ったことがない二代目は使われる人の気持ちがわからないからダメ』などという言葉が聞こえてくる中、大学を5年かかって卒業した私は、そのまま父の経営する会社に大工見習として入社しました。当時水戸市に『茨城県木造住宅センターハウジングアカデミー』という大工養成学校が設立され、その第一期生として入学もしました。これからの大工は学問も必要、とのことからの入学でした。月曜日から木曜日までが現場で大工、金曜・土曜が学生という生活になりました。この生活は2年間続きました。一般的に、『二代目』という言葉の中には肯定的な、前向きな意図が込められることは少ないようです。苦労知らず、甘ったれ、ボンボンといったところです。私自身が本当にそうであった為に、必要以上に『二代目』という言葉に敏感になっていました。その言葉を聞くと『ムカッ』としてしまうのです。入社当初から、大学出の何も出来ない私をもって『ナニモセンム』と酒の肴にする親方衆。二代目はレールが敷かれていて楽でいいわよね、というお客様、『一苦労、二楽、三つぶし』なんていう言葉も覚えたり・・・。実力がないわけですから仕方ないのですが、夢と希望に満ちたピッカピッカの社会人一年生としては、少々自虐的な感情を持つ毎日でした。
 この頃の北澤工務店は、社員の大工が5人、設計兼現場監督が1人、事務の母、社長である父という構成でした。私を入れた平均年齢は51歳現場に出ている当時は、何もかもが新鮮で充実していたように思います。ベニヤ板に墨さしと呼ばれる道具で線を引くだけの設計図。100本にもなる丸太の梁のくせを読み、何段にも重なり合わせて組んでいくその姿に感動すら覚えました。酒を飲むとケンカばかりの親方でしたが、こと仕事にかけてはすごい仕事をする親方ばかりでした。杉とヒノキの木目、香りの違い。下地の正しい組み方。木材の種類による適材適所。道具の手入れ一つでわかる技術。多くの職人との現場でのやり取り・・・。技術を習得するには程遠い一年間でしたが、この経験は今の家づくりの根幹となるものばかりです。
 一年の大工見習を終えて、二年目からは現場監督として勤務しました。しかし資格もなく、経験もない自分が現場の監督などできるわけがありません。もっぱら現場清掃担当で、清掃と残材片付けに奔走した時期でした。今ではとても考えられることではありませんが、この頃の棟梁衆はとても威張っていて、片付けとか掃除は自分の仕事ではないと思っているんですね。現場監督、はたまたお客様が掃除するのが当たり前だと・・・。
 で、あんなこんなで月日が経ち、ハウジングアカデミーも無事卒業。いよいよ営業職としての仕事がスタートしました。今でこそ『天職』と言ってはばからないこの営業という仕事ですが、仕事として軌道に乗るまで、相当時間を費やしました。なんと、2年間も新築の受注ができなかったのです。自分にしてみれば『苦悩の2年間』。父や、他の社員から見れば『何やってんだナニモセンムは!!』の2年間。頭を五厘刈りにしたり結婚したり父に食って掛かって暴力を振るったり・・・そして初めての受注。何回に渡るかわかりませんが、今回から後取り息子の奮戦記を連載で書き留めていきたいと思います。現在の社員にもまだ話していないことが多々出てくるかもしれません。自慢のできる過去のお話ではないのですが、今の自分のプロセスであったことを素直に認めることも大切かと・・・。よろしければまた次号もお読み下さい。
 過日の竹の子掘りにご参加いただきました皆様、誠に有難うございました。竹林の中でのひと時、笑顔いっぱいの親子のふれあいを楽しんで頂けたと思います。また、定員一杯となってしまい、ご参加頂けなかった方がいらっしゃったことをお詫び申し上げます。
 いよいよ8年目、第8回『森で遊ぼう』の開催日時が決まりました。今年も『家族の絆を深めるため』の盛りだくさんの内容をご用意して皆様をお待ちしております。ではまた。

もう一年の折り返しの時期です。いかがお過ごしですか。
 奮戦記(自分で奮戦というのもなんですが・・・)連載2回目です。
 入社3年目、営業という立場になったものの、『営業』という仕事内容が全く分かりません。一体何をするのが営業なのか、どこへ行けばいいのか。唯一の営業の先輩である父から教わった事は、『北澤工務店のジャンバー着て行っているんだから、仕事の話はしなくてもいい。農家の方であれば作物の話とか、天気の話とか、とにかく自分からしゃべらなくていい。教えてもらえばいいんだ。』今でこそ、その意味も良く分かるのですが、とにかく朝事務所を出たら行く当てがないのです。経営コンサルタントを頼んだり、トステムさんに協力してもらって現場見学会を開催したり、色々なセミナーに行ったり、チラシをまいたり、街頭に捨て看板を立てたり、飛び込み営業をしたり、、、色々やりましたが、さっぱりうだつが上がりません。俺は一所懸命やっている。悪いのは俺じゃない。営業の仕組みも無く、会社のパンフレットも営業ツールも無く、訪問先もなく、未だに手描きの図面、手描きの見積書。仕様書もばらばらだ。そうだ。仕事が取れないのは俺のせいじゃない。社長のせいだ。社長はもと大工だし、その頃からのつながりがあるから仕事取れるだけで、昔から増えてないじゃないか。大体、方針がはっきりわからない。経営理念だってない。そうだ、仕事が取れないのは俺のせいじゃない。悪いのはぜーーーんぶ社長だ。オヤジのせいだ。そう強く感じた私は、父である社長に何度も何度も改善(?)の要求をしました。コンピューターがないから俺は仕事が取れないんだ。パンフレットがないから俺は仕事が取れないんだ。構造工法が古いから俺は仕事が取れないんだ。職人の風袋が悪いから俺は仕事が取れないんだ、、、、、、と。そんな事を要求された父の気持ち、今は察するにも余りあるものを感じますが、当時はそんな思いやりの気持ちなど微塵もありません。私も必死でした。そして、当たり前ですが父との確執が深まっていきました。父は激励のつもりで言う言葉の一つ一つが、全て否定的に聞こえ、私は一方的に父に対し嫌悪感を抱くようになりました。仕事に対する情熱が失せていきました。行くあてのない私。やがてその私が引き込まれていったのは『パチンコ屋さん』と『海の見える駐車場』でした。連日のように行っては妻の作ってくれた弁当をほおばり、『俺は悪くない、悪いのは社長だ。』そうつぶやいてはその確信を深めていくのでした。このまま北澤工務店にいても仕方ない。父に変われといっても無理だ。そうだ、会社を辞めて別の会社に就職しよう、俺の実力を見せてやる、と某ハウスメーカーに面接を申し込んだりもしました。(でも結局辞める勇気なんて無いんですね…)飲めない酒を吐くほど呑み、坊主刈りにして自分を主張し、父と交わす二言目には喧嘩になっていました。そんな自分を父や母はどう見ていたのか。結婚したばかりの妻はこんな不安定な自分を、どんな気持ちで見ていてくれたのか。何とまぁ、ひどい二代目さんだ事!!ナニモセンムの典型です。甘ったれるのもいい加減にしてくださいって感じです。でも私、真剣でした。一所懸命でした。今だからこそ思うのですが、心のポジションというか、考え方というか、全く幼稚で、これが二代目ボンボンの特長なのかもしれませんね。カラ周りです。出来ない理由を他に転嫁するんですね。つまり『たられば』です。あれがこうだったら、こうならば、と出来ない原因を外に向けるのです。原因が外に向いているうちは絶対に成果を生み出す事は出来ないようです。つまり私がそうだったわけです。パンフレットがないから仕事が取れないんじゃない。手書きの見積り書だから仕事が取れないんじゃない。全ては自分に原因があったのです。一刻も早く二級建築士・宅地建物取引主任者の免許を取る。訪問したらお礼状を書く。『二代目の北澤修です。宜しくお願い致します。』とOBの施主様を訪問する。現場を回って納まりを勉強したり、職人さんから学ぶ。めまぐるしく変わる法律や銀行借入を学ぶ等々、自らが源となってやらなければならない事は山ほどあります。内なる原因に目が向き始めた頃から環境が変わってきました。営業に行けるお客様先も出てきました。そして初めての受注!!次回はその頃から書き留めて行きたいと思います。
 多くの方から『森で遊ぼう』のお問合せを頂いております。詳細は未定ですが、例年にない『親子の絆の感動』を感じていただける内容です。7月17日(日)です。予定だけ入れておいて下さい。ではまた。

いかがお過ごしですか。今回で連載3回目の『奮戦記』の予定でしたが、どうしても書き込みたいことができてしまいました。内容変更ということでよろしくお願いします。
 カタロ通信2003年11月号のひとりごとで書きました、日本縦断徒歩旅行での出来事を覚えていてくださる方もいらっしゃるでしょうか。沖縄から歩き始め、九州、四国から神戸に渡り、日本海に抜けてひたすら北を目指し、新潟県から山形県、そして秋田県の鳥海山のふもと象潟町であった出来事です。一ヶ月も風呂に入っていない汚らしい私を快く迎え入れてくださり、砂浜でバーベキュー。飲んだり食べたりお風呂に入ったり、たくさんのおもてなしを受けた翌朝、きれいにたたまれた洗濯物と共にビニール袋に入ったお米を頂戴しました。その日も約40kmを歩き、夕方日本海の広がる砂浜でテントを張り、沈む夕日を見ながら頂いたビニール袋からお米をなべに移そうとすると、小さな紙片が出てきたのです。その紙片には一言『日々是好日』と書いてありました。この瞬間の全身を振るわせた感動は、私の生涯の心の支えとなりました。その後、18年の歳月が経ちました。実はその後この方にはまったく音信をとらず、感謝の言葉さえ伝えていません。名前も忘れ、場所も『鳥海山のふもとの象潟町の大工さん』しか覚えていません。でも、あれほどの感動、あれほどのやさしさおもいやりを下さった方に、どうしても逢いたい。当時生きることにさえ気力を失いかけていた私に、光を与えてくださった恩人。今、父から会社を受け継ぎ、妻と子供三人に囲まれた幸せを実感できているのも、この瞬間の出来事があったからだと心底思うのです。どうしても、どうしても逢いたい。秋田に行くことにしました。何の当てもないのですが、18年前の記憶をたどって行くことにしました。愛車のオートバイで。『東北の人は思いやりがあってやさしいなぁ。』そんなことを実感しながら高速道路を移動しました。料金所のたびに声をかけてくれるんですね。道の駅で一服していても、立ち喰いそばを食べていても声をかけてくれる。東北弁で。あったかいなぁ、と感じることしばしでした。山形道は雪景色。月山を眺めるころには
『冬』を感じさせるほどの寒さでした。そして、雄大な鳥海山が現れてくるころには、18年前の光景が彷彿としてきたのです。
 さあ、念願の象潟町に着いたものの、次にどうしたら良いものか。名前もわからず、場所もわからない。ただ国道から家が近く、そこから砂浜にいける、職業は大工さん・・・。たぶんこのへんだったような・・・。象潟町を行ったり来たり3往復4往復・・・。警察で聞いても住宅地図を調べてもわからない。5往復6往復・・・だめか、と諦めかけた頃、『どうすたんですかぁ!!』という声。ガソリンスタンドの人でした。その頃の話をしたところ、『もしかしたら、たぶんそれは野宮さんかもしれない。野宮さんなら近くの現場にいるから電話してあげるよ』とのこと。教えてもらった自宅に行ってみると、間違いありません、その場所でした。この場所であのお米を頂いたのでした!!18年ぶりの再会を果たしたのです。お礼を言おうとしても、固い握手をしただけで、涙が先に出てきてしまって、何も言えないんです。もう、なんていうか、うれしくてうれしくて。私にとって正に恩人です。わずか10分の面談でしたが、秋田へ来た本懐を遂げることができました。今度は家族を連れて遊びに来ることを約束し、その場を離れたのでした。そして帰り道、あの時声をかけてくれたガソリンスタンドの方にお礼に行くと、『今度はガソリンなんて入れてくれなくてもいいから、家族の皆さんでぜひ遊びに来てくださいよ!!』との言葉。東北っていい。秋田っていい!象潟って最高!!そんな気持ちで胸が張り裂けそうでした。
 ほんの些細なことが、生涯の支えとなることをこのエピソードは教えてくれました。縁があって北澤工務店に入社してくれた社員、共に働く職人、生命財産に匹敵する家づくりを託してくださるお客様、いつも見守っていてくれる両親、最愛の家族・・・。できることはたくさんあります。二度とない人生を価値あるものにしたいから、ほんの些細なことに心をこめて実践していくことを、内なる心に誓いました。
 いよいよ『第8回森で遊ぼう』です。親子の絆を深めるための企画です。今年こそ!すばらしいゲストお迎えしての森で遊ぼうです。ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。お待ちしております!!

時の流れるのは早いもので、もう8月です。梅雨も明け、子供たちはプールに夏休み。青い空に熱気。なんとなく活気付く感じの毎日です。『第8回森で遊ぼう』では大変お世話になりました。ご参加いただきました皆様、大変お疲れ様でした。工作にゲーム、すいとんの夕食とキャンプファイヤー、特にキャンプファイヤーは例年と少し違った内容でした。いつもは笑いと汗と熱気むんむんの一時間なのですが、今年は『親子の絆』をテーマに開催しました。その仕掛けをしてくれたのが『コクーン』のお二人。ある研修で出会ったシンガーなのですが、すばらしい歌声とその歌詞に、心に響くメッセージとして伝わったと思います。♪♪ 生まれて くれてありがとう 生きてて くれてありがとう あなたが いるだけで わたしは しあわせ ♪♪ そんな言葉を繰り返しながら子供を抱きしめたお父さん、お母さん。世の中に起きている信じられないような事件の数々も、この親子の絆がつながっていれば、この絆さえつながっていれば、少しでも良い方向になっていくに違いない。私も三人の子供たちを抱きしめました。汗だらけの子供たちを抱きしめました。そして、われわれ大人にとって一番大切なことは、この大切な大切な子供たちに、生き生きと生き抜く私たち大人の背中を見せることなんだ。子供たちに夢を託すのではなくて、私たち大人が輝く以外に、子供たちの希望に満ちた未来はないと。そんなメッセージを精一杯の気持ちを込めて伝えさせていただきました。世の中の最小単位のこの絆が深まっていくことを、肌身で感じた今年の森で遊ぼうでした。残念ながら参加できなかった皆様、ぜひ来年お待ちしております。
 前回の独り言には大変多くのご感想をいただきまして、誠にありがとうございました。『カタロ通信愛読者より』という送信元のわからない方や電話・FAX・訪問先でご感想をいただきました。ありがとうございました。

 先月号でお休みをいただいた奮戦記第3回目です。私は、平成5年に一年間の大工見習い、その後一年間の現場監督見習いを経て、営業職に就きました。大学では経営学部でしたから、建築に対してはまったく素人の私も、この頃になるとおぼろげながらも全体像が見え始めてきました。しかしながら、注文住宅の営業というのは、それはそれは広い知識と経験が必要で、そう簡単に一人前になることはできません。資金計画、税法、建築法、家族の将来の計画から、構造、デザインまで、お客様の生命財産に匹敵する家づくりのパートナーとしての学びは今でも尽きません。性格的に歪んでいた(いまも??)私の仕事ぶりは、6月号で書きましたような始末で、なんというか、本当に無始末な毎日でした。できない理由をずらずらと並べ、その責任はすべて親父である社長のせいだと訴えました。経営理念がない、経営計画書がない、パンフレットがない、売る商品がない・・・。東京で開催される経営セミナーに参加しては、批判の種を仕入れてきました。ますます頭でっかちで実務ゼロの『なにも専務』になっていく私・・・。そんな自分を親方衆や職人はどんな思いで見ていたのだろう。何より、『モノ』にならない息子を、社長である父はどんな思いで見ていたのだろうか・・・。
 そして、なんだかんだで2年の年月が流れたころ、転機が訪れました。河内町に住むT様との出会いです。T様は兄と同じ職場の上司に当たる方です。大変知識が豊富で、研究熱心、情報もたくさんお持ちのため、とにかくT様を追いかけていくような状態でした。『断熱材は新聞古紙のセルローズファイバーというのがいいと思っている』『サッシは輸入サッシの方が性能がよい』『太陽熱を利用した床暖房を取り入れてみたい』『雨水を庭の散水用に利用したい』・・・・。とにかく聞いたこともないものばかりで、ちんぷんかんぷんで、タジタジであったことを思い出します。でも、二年間もタダ飯を喰っている私。後に引けません。何とかご契約をいただきたい、という一身でした。父も応援してくれました。断熱材を調べ、輸入サッシを調べ、ソーラーハウスを調べ、毎日のように訪問しては、(他に行くところがなかった?)お礼状を書き続けました。しかしながら、競合が3社。見積書を提出したところ一番高いとのこと。もちろんご予算を大幅に超えている・・・。ついに判決が言い渡されました。『北澤君、君のところで頼むよ』・・・・・・・・・初めての受注が実現しました。河内町T様。一生涯忘れられない印鑑の重みでした。あれから10年を経た今、T様からどうして私を指名して下さったのか、理由を伺うことができました。『それは、おさむくんの若さにかけたんだよ。』と一言。かけたんだよ、というこの一言、全く、背筋が伸びる思いでした。どんな問題に出会おうとも、この言葉を思い出すと勇気がわいてきます。初心に帰ることができます。言葉に書き尽くせない感情が湧いてきます。

 ところが、ところが  この初受注、実に、実に、前途多難の幕開けでした。お詫びをしてもし尽くせない問題の数々。T様のご了解を得て、次号以降につなぎたいと思います。
 ひとつご連絡です。『森で遊ぼう』に来てくださった『コクーン』さんのCDを販売いたします。リブラ店に在庫しておりますので、どうぞお越しください。夏休み、今年も北澤家は富士登山にチャレンジします。登頂することよりももっともっと大切なことを教えてくれる富士登山です。さてさて、今年こそ登頂なるか???では、元気良く夏を乗り切っていきましょう。