
あっという間に夏が過ぎ去ろうとしています。非常に反響をいただきました前号からの続きを書きたいと思います。
T様とご縁を頂き、念願の初受注となった11年前。いよいよその工事がスタートすることになりました。解体工事に盛り土と続き、地鎮祭は神主を呼ばずに施主様と私で執り行いました。基礎工事が始まる頃になるといよいよ本格的な建築工事の始まりです。半田の作業場では坪内棟梁、田倉棟梁を中心として、木材の刻み工事も始まりました。ハイブリットソーラーシステムによる太陽熱床暖房、それまで主流であったグラスウールではなく新聞古紙再利用のセルロースファイバー、カナダから輸入する樹脂サッシ、ノートパソコンを駆使した新しい発想の間取り、雨水の利用・・・・・。私にとって初めての受注でありながら、北澤工務店としても経験のない、初めての取り組みの数々が始まったのです。輸入サッシを仕入れるために栃木県の今市市へT様と共に出向き、数あるソーラーシステムを何箇所となく訪問し、納得がいくまで打ち合わせをしました。そして無事上棟。T様と共にその喜びを噛み締めたことを如実に覚えています。しかし、しかし、、、、無事上棟を果たし、瓦が乗る頃になったとき、大きな、大きな問題が立ちはだかったのです。輸入サッシはカナダから船便で送られてくるために、発注から納期まで45日かかります。断熱先進国の欧米のサッシは非常に性能が良く、円高ということもあってコストパフォーマンスに優れているのも魅力です。サッシの幅が1800mmと記されていたために、何の躊躇もなくこれまでの6尺寸法(1818mm)で柱を立てていました。横浜に着いた積荷は、埠頭から税関を通り、トラックに乗って揚々と河内町へやってきました。掃き出しサッシは大人4人で持ってもふらつくくらい重い品物です。皆で力を合わせ現場に搬入し、所定の位置に収めようとしたところ、、、、、ガ、ガーン。はいらない。サッシが大きい!!!よくよく考えてみると当然のこと。当たり前のことを確認しなかった私の不注意が大事件を起こしてしまいました。日本の中でも関東地方は『中心寸法』で建築が行われています。ですから中心寸法は1818mmであっても実際の有効幅は柱の厚みを引いた1698mm!!つまり、輸入サッシのほうが102mm大きいために、はいらないのです。なんとお詫びをすればいいのか。なんと言い訳をすればいいのか。手立は、柱を切って移動する以外にありません。それも一箇所ではなく、何箇所も・・・・。新築の家で、上棟した後の柱を切らなければならない。そんな事を、そんな無始末を、T様は苦渋ながら承諾してくださいました。どんなにお詫びをしてもお詫びしきれない。
10年を経た今だからこそ、T様もこの掲載を承諾してくださっていますが、その心中を察すればするほど、自分の未熟さ、至らなさ、後悔の念を抱かずにはいられません。実は、解体工事のときから職人との理解の違いによりご迷惑を掛けっぱなしでした。今回の不手際でいよいよ不信を増幅されたT様の奥様から、連日ポケベルの嵐が吹き荒れるようになります。『ピピッ・ピピッ・ピピッ!』恐る恐る番号を見るとT様の電話番号。朝となく夜となく、一日に2回、3回と鳴りました。ほとんど、ポケベル恐怖症の状態・・・。不思議なものです。過ちを意識すればするほど、それを繰り返し犯してしまうんですね。容赦なく過ちを指摘されるうちに、自分の能力のなさに嫌気が差すこともありました。何とだめな自分なんだと。ひいては施主様に対してさえ非難の感情を抱くようになりました。そこまで言わなくったっていいじゃないか、俺だってがんばってるんだ、と。でも、当然なんです。『失敗も経験のうち』そんなこと、許されないんです。T様にとって夢にまで見た家づくりの実現。それを僕の成長のための材料に使われたのでは、たまったものではない。施主様の生命財産に匹敵する家づくりを担うものとして、一寸の気の緩み、妥協はあってはならない、全くの真剣勝負なんだと・・・・。わかっちゃいるけど、わかっちゃいるけどその理想と現実に葛藤を繰り返しました。そして無事竣工。・・・しかしながらその後も工事の不手際、管理不足による手直しは続きました。
でも、T様との関わりは、不思議なんです。4年前の出来事です。T様の奥様から久しぶりにお電話を頂きました・・・・。『あ、、、あたし。わかる??また何かあったと思って、ビクビクしてんでしょう!!!今回は、そうじゃなくって、北澤さん、5月28日、結婚記念日だったよね。うちでお祝いしてあげっから、子供たち連れて、家族みんなで遊びにおいでよ!!!』感動しました。家づくりの仕事をしていてよかった。そのときT様に聞いたんです。何で北澤工務店を選んでくださったのか。『そりゃあね、おさむ君の若さに掛けたんだよ』背筋が伸びました。これからも、いい仕事していきます。
秋を感じる10月になりました。いかがお過ごしですか。前号はある意味で自分の失態の暴露話で、とても記載には迷いましたが、いろいろと反響をいただきました。事実ですので仕方ないですね。この経験は私の財産です。
さて一年越しの悲願、『家族で富士山に登る』です。8月23日24日をその日と決めました。日本一の山に登るためのトレーニングが一ヶ月前から始まりました。この時ばかりは私も早く家に帰り、共にトレーニングをしました。それは『スクワット』です。20回を3セット。イーチッ・ニーッ・サーンッ・シーッ!・・・・・と声を合わせてやるのですが、これがなかなかきついです。翌朝は激しい筋肉痛に見舞われ、ガクガクデス。子供たちも『富士山なんて行きたくなーい!』を連発。どうなることやら・・・。 スクワットに慣れてきた頃、筑波山に足慣らしに行きました。トレーニングの成果があってすごいスピードでの登頂。いよいよ準備も万端です。当日まであとわずか、子供たちも覚悟を決めざるを得ない状況に・・・ところがなにやら雲行きがあやしく・・・。
なんと予定日が、台風11号と12号がダブルで本州を襲った、あの時にぶつかってしまったのです。天気図を調べると、台風の影響は九州から東海、関東に渡り激しく荒れる模様。無理してでも行くべきか、断念すべきか、当日の朝まで迷いました。『困難があってこそ、大きな感動がある。登頂することが目的ではなく、そのプロセスを堪能するのだ。家族の絆を育むのだ。たとえ登頂できなくとも。』そう思う反面、昨年のあの猛烈な体験を思い出すと身の危険さえ感じるわけで、単なる無謀にも思えます。子供たちにとっては登山に対する『トラウマ』になってしまうのではないか・・・。とにかくリュックにすべてを詰め込んで、身支度を整えて、車のエンジンをかけました。さて、どこに行こうか・・・。
悩んだ挙句、秋田に向かうことにしました。あの、野宮さんに家族をあわせたいと思ったのです。あの、ガソリンスタンドのおじさんに、家族をあわせたいと思ったのです。そして、秀峰『鳥海山』に家族で登ろうと思ったのです。
遠いですねー、秋田県。6時間をかけて、やっと目的地の象潟町に着きました。そして念願の対面。ガソリンスタンドのおじさんは残念ながら留守でしたが、野宮さんは腰を悪くしたということで自宅に休んでいました。突然の訪問に驚かれたようですがとても喜んでくれて、快晴の日本海の砂浜に遊びながら、有意義な時間を過ごしました。
そしていよいよ鳥海山登山です。標高は2300mなのですが、日本海からせり上がっているため、とても大きく感じます。五合目の駐車場は曇り。準備を整えて登山者カードに記入。不安な表情の子供を横目に、一歩々々歩き始めました。
生きていて、生活をしていて、なんでもそうなのですが、始まりはいいんですね。なんでも。始まりは元気で、明るくて、希望に胸を膨らませるんです。入社したときも、結婚したときも、いつでもそうじゃなかったですか???でも、やがてうまくいかないことが必ずある。苦しいとき、辛いとき、どうしようもないとき。うれしいときがあったり、元気になったり、悲しくなったり。登山も全く同じ。やがて元気に歩き出したはずの北澤家に試練がやってきました。まずは次男の秀平がブレーキ!トレーニングをサボっていた始末です。泣き喚く秀平をなだめていた妻も、いよいよしびれを切らし置き去りにしてくると、生まれてこの方聞いたこともない、とてつもない声が山に響き渡りました。『ウわーーッ、おかあサーーンッ!!熊さんに食べられちゃうよーーーッ!!ウわーーッ!!』そう泣き叫びながら山道を登ってくる秀平。お見事な姿でした。この体験で秀平は、歩く以外に泣いても叫んでもどうしようもないことを体得したようです。次のブレーキは長女の美季。転んで足から血が出ています。でも、やっぱり泣いても仕方ないんですね。歩くしかない。前に進むしかない。自分は体力がないからと、しっかりトレーニングを積んだ長男の大志だけが順調に歩き続けています。・・・登山は人生の縮図にさえ感じます。人生をシュミレーションしているような。
なんだかんだで歩き続けていると、視界が開けてきました。中腹に広がる鳥海湖です。それまで曇っていた空は、天高く青空が光ってきました。風邪もなく最高の登山日和です。たっぷり休憩を取って、再スタートを切りました。
だらだらと長い文章になってしまいました。あの感動を表現したいのですが、書ききれなくなってしまいました。さあ、鳥海山登頂なるか。次号にその顛末を綴りたいと思います。
10月。北澤工務店では盛りだくさんの企画をご用意しております。家づくりのご参考に、どうぞご参加ください。
透きとおる秋です。いかがお過ごしですか。
鳥海山の続編です。歩き始めて2時間くらいたったでしょうか、下界では雨だったお天気も澄み渡る青空になり、泣いても転んでも血を流しても、自分の足でしか前に進めないことを体験した大志、美季、秀平。この現実にかんねんするより他ありません。やっと周りの景色にも目が行くようになってきました。すばらしい景色なんです。緑のじゅうたんはうねうねと連なり、手に取る近さで日本海がきらきら光っています。人工の構造物は全くなく、正に山に抱かれる感じです。気持ちも軽やかな、そんな北澤家に最後の困難がやってきました。
あと1時間で頂上、という頃から登山道が急に険しくなってきたのです。登りが、長いんです。果てしなく長い。ひたすら登り。大人でもそう感じるんですから、子供たちの歩幅では尚のことでしょう。妻と大志が先頭に立ち、私は最後尾から激励します。『おい、みきっ!!あと少しだ!がんばれッ!!』『秀平ッ!!休んでも進まないぞ!!ゆっくりでいいから、一歩ずつ歩け!!』『そうそう、いいぞッ!!ゆっくりでいいからな、ゆっくりで!!』ダダをこねるでもなく、わがままを言うでもなく、一歩一歩良くぞ、ひたすら、歩いてくれました。ふと美季の後姿を見ると、下を向く背中がヒクヒクいっています。同じく下を向きながら歩く秀平も鼻をすすっている・・・・・。二人は、苦しいのに文句も言わず、不平不満も言わず、歩いているんです、べそをかきながら・・・・・。泣きべそをかきながら前を行く二人。私には背中しか見えませんが、そのけな気な姿に、一所懸命さに、ものすごく感動しました。私の方まで涙が出てきてしまいました。(スクワットのトレーニングをしっかりやってきた長男大志は、難なく黙々と登り続けました。)やがて、鳥海山大忌神社(山小屋)に到着。ここから頂上までは20分少々。初日はここまでです。本当に良くがんばりました。
がんばった北澤家に、神様からたくさんのプレゼントを頂きました。まずは、日本海に沈む絶景の夕日です。山小屋の主人いわく、『今年で一番きれいだ』とのこと。そして、満天の星空。ものすごい天の川に流れ星。縦横無尽に飛び回る人工衛星。感動モノでした。翌朝は午前4時に起き出して頂上へ。やがてメインイベント『ご来光』。霊気に包まれた冷たい空気を吸い込むと、やがて金色に輝く空と地平線の狭間から、神が現れました。山は人間を解放します。みんな同志です。『ご来光を見ながらコーンスープをつくって飲む』は、北澤家の下界での約束。早速バーナーに火をつけてお湯を沸かし、あったか〜いスープの出来上がり。多めにつくってその場に居合わせた方々にも一つのなべでお振る舞い。寒くてもみんな笑顔。最高のひと時・・・。その後、無事、家族全員が景色を満喫しながら下山の途についたのでした。やがて駐車場で主人を待つ、愛車のステップワゴンが見えた時には大はしゃぎ。下界に戻ってきた時のお約束。でっかい生ガキとビールで乾杯!!北澤家の夏休みは終わりました。
山登りはすばらしい体験、学びを教えてくれます。まるで人生の縮図です。ぜひお勧めです。・・・来年こそ、家族全員で富士山登頂します!!
ぐっと話は変わりまして、実は私、ここのところ続け様にお客様にご迷惑をおかけしています。失敗ばかり。正直落ち込みます。不快感を与えてしまったり、建築でミスが重なったり、約束を間違えてしまったり・・・。そういう時って、なぜか重なるんですね。顔つき目つきまで悪い。夫婦仲まで悪くなる。家に帰るのもおっくう。悪循環。くよくよしても何も改善しないのですが、心のスイッチの入れ替えがなかなかできない。
そんな折、芳村思風先生の勉強会がありました。『人間は不完全な存在である。図らずも失敗をするし、うそをつくし、人を騙すし、罪を犯す。その不完全な人間と不完全な人間が、共に力を合わせて生きていかなければならないというこの矛盾。つまり私たち人間は、矛盾を内包した真実の中に生きるのだ。』『人生に失敗の人生はない。みんな大成功の人生。なぜならば、人生は体験の連続だからである。正も負も含め、あらゆる体験は人間を成長させてくれる。体験なしに真実は語れない。体験とは真実を語る力なのだ。』 力がみなぎってきました。今の自分の全てを受け入れようと思いました。今の自分を丸ごと飲み込んでやろうと思いました。正も負も。
お手紙やメールを頂戴しております。本当にうれしいです。いつもお読みいただきありがとうございます。



よくがんばった!3人!
疲れを癒してくれた鳥海湖。
ご来光と共に、家族で・・!
すっかり冬支度を整えた外の景色に驚かされる今日です。いかがお過ごしですか。
新聞、テレビ報道などでご存知の方もいらっしゃると思いますが、『特攻の母』と慕われた鳥浜トメさんの娘さんの赤羽礼子さんが、10月17日永眠されました。76歳でした。私は青年会議所の事業がきっかけで、2年前にご縁をいただきました。多くの特攻隊員を見送ってきた生き証人として、礼子さん以上に真実を語れる方はいらっしゃらなかったと思います。もっとお話を聞きたかった。来年公開予定の石原慎太郎都知事総指揮『俺は、君のためにこそ死ににいく』では、礼子さん役の女優さんも決まり、実名なんですって!!と喜んで話をされていました。本当に残念です。悲しい告別式ではありましたが、写真で微笑む礼子さんを見つめていたら、『礼子さん、ありがとう』という思いが、声となって湧き出てきました。本当に礼子さん、ありがとう。
思えば私は、『おばちゃん』に恵まれてきたと思います。山梨県の航空高校時代は『こっぺのおばちゃん』がいました。武道館の横にある唯一のお店で、甲斐なまりでいつも元気がよく、閉鎖された寮生活の中で唯一の安らぎの場所でした。割烹着がよく似合うおばちゃんで、初めて話した時はその速さとなまりで何をしゃべっているのかがわからないくらいでした。一年生は出入り禁止とか、通称あんバターは先輩優先の超貴重品。やたらとおいしく感じた冬季限定シュークリーム、コンクリートの床にビニールのパイプいす。薄暗いその空間でのおばちゃんとのやり取りは、親元を離れた航空高校時代を語る上で、なくてはならない貴重な空間・時間でした。
大学時代は『ことりのおばちゃん』がいました。それこそ精神的に一番荒れていた頃、おばちゃんには何でも話をしました。売れない喫茶店はいつもガラガラ。開店から閉店まで居座り、生きるとはなんぞやから始まり、お気に入りの女性ことまで、ああでもないこうでもないと話を聞いてもらいました。ちょっと古くなったコーヒー豆と、特製のやきうどん。古材を使った店内は少な目の照明でとてもいい雰囲気。卒業のときは『がんばりなさいよ』と涙まで流してくれて・・・。そして、社会人となって礼子さんでした。新宿の末広亭前で礼子さん夫婦が経営する居酒屋『薩摩おごじょ』は、すべてから開放される憩いの場所でした。礼子さんから聞かせていただく特攻隊員一人ひとりのドラマは、肥満化した私の精神を激しく揺さぶりました。芳村思風先生は『命には命よりも大切なものがある。それは、この命を掛けても惜しくないほどの対象と出会うことである』と語る。まさに特攻隊員はそうであったのではないか。よろしかったら礼子さん著・草思社刊『ホタル帰る』(1575円)をお読みください。北澤までご連絡いただければご用意いたします。
『おばちゃん』の存在って、本当に貴重です。心の支え、唯一甘えられる場所のような気がします。ぺた〜〜んとできる場所っていう感じ。そんなおばちゃん、近くにいたら、いーっぱい話を聞いておきたいものですね。いーっぱい話を聞いてもらって甘えておきたいものですね。こっぺのおばちゃんも、礼子さんも、逝ってしまいました。心の中に、思い出を大切にしていきたいと思います。ちょっとしんみりしたひとりごととなりました。
さて、おかげさまで、第5回カタロ市の日も517名の皆様のご来場を頂き、無事終了することができました。作品たちのすばらしさはもちろんですが、『こうちゃんやきいも』と『特製スープ』のほうも大変好評で、とても楽しい時間をすごすことができました。ご来場いただきました皆様、本当にありがとうございました。残念ながらお越しになれなかった方、また来年お待ちしております。
私の尊敬する『芳村思風先生』の日めくりカレンダーが出来ました。このひとりごとでも度々紹介させていただいている先生の語録です。『考え方ではなく、感じ方が人間を決定する』とか、『使命とは、この命を何のために使うか』『人間は、不完全な存在。どんな人でも〈長所半分、短所半分〉』などなど、生きることがワクワクしてくる言葉が盛りだくさんです。残念ながら完売とのことですが、少しだけ余裕を持って取寄せましたので、ひとりごとをお読み頂きました方に抽選で5名様にプレゼントいたします。郵便・FAX・メール・電話いずれかの方法で、お名前・住所・電話番号をお知らせ下さい。お待ちしております。
いよいよ師走です。元気に一年を締めくくっていきたいと思います。
新年 あけましておめでとうございます。いよいよ2006年が始まりました。皆様、いかがお過ごしですか。
ちょうどこのひとりごとも70回目ということで、全面を使っての特別編を書かせていただきます。いつもにも増して長くなりますが、どうぞお付き合いください。
まずもって、前回の『芳村思風先生語録・日めくりカレンダー』及び、赤羽礼子さん著『ホタル帰る』にはたくさんのお申し込み、ありがとうございました。心ふるえる言葉がぎっしり詰まっています。どうぞ、ご活用ください。
北澤工務店では、昨年の7月から12月まで、日本SG研究所の松前謙一朗氏を招いて、『夢塾』を社内研修として開催しました。通称けんちゃんこと松前氏、かの行徳哲男先生を師事し、20数年アシスタントをしてきたというつわものです。さぞガチガチの方と思いきや、まったくスマートで女性性的な印象の方です。あっという間に打ち解けた研修となりました。通常、社内で研修というと『マナー研修』から始まり、専門的な技術研修・自己啓発の研修等が多いと思います。しかし今回の『夢塾』はどれにも当てはまらないとてもユニークな研修です。能力至上主義で、会社にとって都合のよい社員になって欲しいのは経営者として当然なのですが、それ以上に、社員の人生にとって北澤工務店がどのように貢献できるか、が重要だと思っています。社員の人生のベクトルの上に、きちんと北澤工務店が乗っかっていないと、本当の力を出せないからです。『本当は自分がやりたいのは違うんだけど・・・生活のためには仕方ない・・・』そんな気持ちでやっていたら、迷惑千万です。そのような方はいくら能力があっても北澤工務店の社員としてはふさわしくありません。たった一度の人生、これまでいろいろな遍歴を持った個人が、奇跡とも言うべくしてこの北澤工務店にたどり着いている。その仲間と、昼間一番長く時間を共有するのであるから、『人生のパートナー』であるといっても過言でない。その仲間と『夢』を共有し、分かち合い、支えあうことができたなら、すばらしい仕事ができるに違いない。1+1=2ではなく、3にでも10にでもなることができる。そんな理想を持ってこの『夢塾』を開催したのです。
第一講『夢先案内人』 第二講『夢持つ値打ち』 第三講『夢を阻害するもの』 第四講『夢の創造』 第五講『夢達成のコツ』 第六講『夢の展開』と続き、全6回で終了しました。それぞれ内容の濃い講義ばかりでしたが、特に心に残ったことを少々述べてみたいと思います。
『皆さん、目を閉じて・・・、ふかーく呼吸をして・・・、14歳の頃の自分を思い出してください。きらきらと目が輝き、なんにでも好奇心を寄せ、はじけんばかりのあの頃の自分を思い出してください。・・・・・ではその自分を、目を閉じたまま、目の前に迎えてください。・・・何て言ってくれていますか。いま、目の前にいる14歳の私は、今の私に、なんと言ってくれていますか。』そんなワークがありました。14歳の私は、今の私に対し、『おまえ、そんなもんじゃないんじゃないの!ぜんぜん、まだまだだよ。がんばりが空回り!!まだまだ!!』そんな風に言っているように聞こえてきました。結構厳しかったです。14歳のときの私は、親元を離れて飛行機の世界へ飛び出す覚悟をしていました。その頃の決断力からしたら、ずいぶん臆病になってしまったのかもしれません。14歳の私に『うひょーッ!おさむ、かっこいいーッ!!』といわれるような生き方をしたいと心から強く感じました。14歳の私から、私はいつも見られているのだと思うと、なんとなく生活に張りが出てきます。皆様もやってみてください。なかなかのものですよ。
また、第二講の『夢持つ値打ち』の時のことです。『もしあなたが3年間、夢を持つことができなかったとしたら、どうなりますか?』との設問に対し、自由に発表する機会がありました。やるきがなくなる。生きる意欲がなくなる。毎日だらだらしている。ブスになる。お肌が荒れる。友達がいなくなる。死にたくなる。無気力・無感動・無関心・・・・等々。逆に『もしあなたが3年間、夢を持ち続けられるとしたら?』という設問に対しては、正反対の発表が相次ぎました。目がきらきらと輝いている。意気揚々としている。幸せを感じられる。幸せを人と分かち合える。毎日が楽しい。人から信頼される。いい仕事ができる。同性異性を問わずモテル。お肌がツヤツヤしている・・・等々。それを発表する時の表情までが生き生きと笑顔になってくるから不思議です。
案外誰もが、夢を持つ値打ちなどわかっているのだと思います。ただ、命は無期限だと思っているから、目先の事に追われてしまうから、『夢』なんて幼く感じるから、忙しいから、○○だから・・・・・そして、現実はそんなに甘くない、とか何とかいって夢なんて考えようとしない。感じようともしない。でも、夢を持ち、それをかなえようと努力できるのは、人間だけです。人間である証拠かもしれない。いつの間にか私も年を重ねること38年。はっきりと『夢』を文章にしたり、言葉にしたりすることの大切さを痛感したのでした。メジャーリーグの松井選手も、宇宙飛行士の野口さんも、あの人もこの人も、輝いている人は皆、夢を持ち、それを実現していったのですから。夢には大きいも小さいもありません。夢を持つことに価値があります。子供に『夢を持て』という前に、大人である私たちが『お父さんの夢はなぁ、○○になることなんだ。いつかはこうなりたいんだ。』と子供に語れたら、ものすごく素敵ですね!!それだけで子供は立派な人間になると思います。
新年ということもありますが、ほんと、夢って、老若男女問わず、大切です。本年もよろしくお願いいたします。