
冬らしい冬が続く今日ですが、いかがお過ごしですか。実は私、冬がとても好きであります。青く透き通る空、まばゆいばかりの星たち、ぴんと張りつめた空気、下に下に根を張る植物たち、冬ならではのおいしい食物等々・・・。冬はなんとなく暗いイメージを持つ方も多いと思いますが、逆に私は夏と比べて雰囲気的に上品なイメージを持っていまして、好きなんです、冬が。・・・寒いですけど。
今月は『飛行機』について書きたいと思います。私の生まれた龍ヶ崎市半田町は、田園風景の似合う静かな集落。そこには竜ヶ崎飛行場があり、セスナ飛行機がのどかなエンジン音を響かせて飛んでいます。家の上空を頻繁に通過するので、飛行機という存在は生まれてから全く違和感なく自分の中に入っていました。小学校時代は、毎年そこで『飛行機大会』が開催されていました。メインはラジコン飛行機なのですが、小学生対象に『ゴム動力飛行機』の滞空時間を競うプログラムがあり、大会が近くなると、友達とああでもないこうでもないと改造を試みたものです。1分以上飛ぶこともあり、何度もトロフィーを持ち帰りました。
小学5年生頃になると『Uコン』が流行りました。棒切れとベニヤ板で作った特製の飛行機に、小遣いで買ったエンヤの09エンジンを載せ、長戸小学校の校庭でぶんぶん回して遊んでいました。
1年さかのぼること小学4年生のとき、大きな出来事がありました。新東京国際空港・成田空港の開港です。いきなり鯨のようなでっかいジャンボジェット機が上空を旋回していくのです。感動しました。ちょうど引き込み脚を出すタイミングらしく、独特な音と共に、旋回がものすごくかっこいいんです。俄然『飛行機』の存在が大きくなっていきました。5年生の後半ごろからは、その成田空港へ自転車で見学に行くようになりました。片道2時間半の道のりです。その頃の成田空港は、過激派対策で超厳戒態勢。怪しいものは一歩たりとも近づけさせない機動隊の集団。三里塚の公園ではタオルにヘルメット・黒のサングラスを掛けた過激派が、大きな赤い旗を掲げて集会をしている。その上空をかすめるジャンボジェット機・・・。中学生になるといよいよその思いも深くなり、電車に乗って羽田空港にも出没するようになりました。ある時は自転車で成田空港、ある時は電車で羽田空港。好奇心は留まるところを知りません。マニアの中で知られる『絶好のポイント』も知るようになり、機体の種類や大きさ・世界各国の航空会社名・JPナンバーによる機体の履歴なども覚え、航空無線を聞いて管制官とパイロットのやり取りを聞いたりもしました。また、成田ビューホテルに出没しては外国人のパイロットやスチュワーデス(今はフライトアテンダントというらしいですが・・・)に話しかけては、決まり文句の英語を浴びせて一緒に写真を撮ってもらったりしました。『オ・タ・ク』そのものって感じです。2年生の社会のテストの時です。早く終わってしまったので、テストの裏面に成田空港に入港している各国の航空会社の名前やマークを『だーッ』と書いたところ、先生がでっかい花丸をくれたんです。結構うれしかったですね、あの花丸は。そして飛行機の学校『日本航空高等学校』へ入学。高校時代のことは何度も書いているので省略させていただきますね。
大学生になったら、空が好き、飛行機が好き、自分も飛んでみたい、とハンググライダーを始めました。上昇気流に乗って2000m上空を飛んだり、浜辺の気流を利用して3時間も飛んでいたり、着陸がなかなかうまくできなくて、田植えをしたばかりの田んぼに『胴体着陸!!』泥だらけの惨めな格好で地主さんに謝りに行ったり・・・。空は楽しい。
そして今は、だれかパイロットかスチュワーデスさんになってくれないかな、と子供たちを連れてよく飛行場や空港に行きます。子供のために、とか何とか言っていながら、でっかい飛行機を見ると『ほら!ほら!!すごいだろーッ!!!な、かっこいいよなーー。なッ、そう思うだろ、そう思うよな!!??』・・・・・しらけ顔の子供たち。ま、いいじゃないですか。いつになっても飛行機が大好きな私。そういえばそうなんです。あの森で遊ぼうで続けている『バルサヒコーキ』も、私のこんな思いがあってやっているんです。飛んでいる姿が本当に美しい。あの、夢中になっていた頃の記憶。最高の財産です。今月は『飛行機と私』のお話でした。
しゃんしゃん。
少しずつ寒さが緩んできているようにも感じる今日ですが、いかがお過ごしですか。 先日、ある講演会に参加してきました。日本BE研究所の『行徳哲男先生』「ヤクザはクリスチャン」で知られる『鈴木牧師』伏見工業高校ラグビー部総監督の『山口良治先生』の3人が発起人となって設立した『JIDAIOKUREの会』です。
その中で、今年正月、全国高校ラグビーで4回目の優勝を飾った山口良治監督のお話に大変感動しました。今回はそのことを書いてみたいと思います。
あの奇跡的なドラマを生み出した伏見工業ラグビー部も、現在では部員91名を擁する名門高校となりました。当時のドラマは『スクールウォーズ』として、時を越えてテレビや映画で放映され、NHK『プロジェクトX』では最多再放映回数を記録しました。一人の教師の存在が、これほど多くの人々に影響を与えている例は類を見ないと思います。
どんなスポーツでもそうですが、全国大会に出るだけでも大変です。まして決勝戦にまで残るというには、その努力も並大抵のことではありません。毎日の練習は、私たちの想像を絶するに違いありません。
順調に勝ち上がった伏見工業高校、ご存知の方も多いと思いますが準々決勝ではロスタイムでの劇的な逆転勝利を収めるなど、名門の底力を見せました。
そして桐蔭学園高校との決勝戦当日、山口先生は試合開始20分前になって選手と選手に選ばれなかった3年生をロッカールームに集めました。その3年生に向かって言ったそうです。
『この試合で最後だ。今日までお前ら3年間、よくがんばってくれたな。一所懸命がんばってきてくれたのに、試合に出してやれなくてごめんな。選手達に言いたいことあったら、今のうちに言っとけ。』
『・・・・・・・・・・・・・。』
緊張感が時間をあっという間に進めます。
『お前ら、言いたいことはないんか。今言っとかないと後悔するんじゃないのか』
そのうちに、ぶるぶると生徒たちの体が震えてきたのだそうです。そして、一人が口火を切った途端に、一気に爆発しました。『ちくしょーッ!!俺も出たかったんだー!!俺の分まで走ってくれっ!!くそーッ!!絶対に俺の分まで走ってくれーー!!伏見を頼むぞーーッ!!頼んだぞーーーッ!!』ぶつけようのない感情を、襟元にしがみつきながら、生徒たちはもみくちゃになって泣いた。
そして、選手たちは涙の雄叫びを上げながら、大歓声の決勝グラウンドに走っていった。その後姿を見て山口先生は、『絶対に勝てる』と確信したのだそうです。
わずか15分のお話でしたが、70人の会場は涙であふれました。私はどんな講演会でも最前列の中央に座るようにしているものですから、山口先生の懐に抱かれるような気持ちで止むことのない涙を流しました。
すごい先生です。本当に不思議な先生です。山口先生とのご縁は7年前、行徳先生を龍ヶ崎にお招きした際、紹介していただいてからです。お会いする度に涙があふれます。是非龍ヶ崎にお招きして講演会を開催したい、と何度もプロポーズをしています。是非山口先生をお招きして、多くの方と感動を分かち合いたいです。生きる力、生きる喜びが湧いてきます。子供との接し方、教育のあり方、本当に大切なものは何なのか、体の奥底から熱いものが沸いてきます。講演会の開催が実現できたときには、皆様どうぞお越しください。
話は変わりますが、今更ながら、ブログってご存知ですか。今ものすごい勢いで広まっています。北澤工務店では『goo』と言うシステムを使っているのですが、毎日新規の登録者が1000件も増えています。毎日ですよ!
これは新しいコミュニケーションの形態です。遅ればせながら私も始めました。弊社のホームページからごらんいただけますので、是非遊びに来てください。そして、コメントなども書き込んでいただけたらうれしいです。
耐震偽装に談合、とめどなく続く不祥事・・・。生活者から見た建設業界への不信は募るばかりですが、そんな渦に振り回されることなく、自分の人生の証を刻むがごとく仕事に励んで行きたいと思います。
さ、本格的な花粉症の季節到来です。今年はやや少なめ、とのことですが、お互いがんばりましょう。ではまた。
3月は別れの季節、4月は出会いの季節です。いかがお過ごしですか。
3月23日、長男大志の卒業式がありました。
この日のために妻と私は新しいスーツを新調し、感動の涙を想定してハンカチやらなにやらを調えての会場入場となりました。
私が経験した小学校の卒業式は、演壇に向かって卒業生・在校生・父兄が順に横並びで座るという単純な並び方でしたが、今は違うんですね。とっておきの瞬間のための演出がすばらしかったです。
まず大きな体育館の会場が花で埋め尽くされていました。文字通り『花道』で、これだけの準備をする先生方の労力は相当なものであったことが想像されます。そして、単純な並び方ではなく、卒業生を囲むようにして正面に在校生、左右に父兄、中央に演壇という構成でした。
『卒業生入場』のアナウンスが入ると、静かな、きれいな音楽が流れ始めました。いよいよ卒業式の開始です。
そのとき私たち夫婦が楽しみにしていたのは、長男の晴れ姿です。その姿を見たとき、生まれてからこれまで12年のストーリーを思い返しながら、さぞ感動の涙を流すのであろうと勝手に決め付けておりました。
やがてその瞬間が来ました。そして、私の決め付けはもろくも破れたのです。『うっ・・・・・・』涙があふれてとまりませんでした。
その抑えようのない感情は、長男の晴れ姿ではなく、それを一年間率いてきた担任の先生の姿を見た瞬間にあふれ出したのです。
思い起こせばこの一年間、どの先生方もそうであったと思いますが、担任の先生も様々な葛藤を乗り越えてきたのだと思います。恥ずかしながら長男においても一時ご心配をおかけしました。ある同級生からお金を要求され、いつの間にか現金を用意し、それを渡していたなんていう事件があったのです。子供の社会に親が口出す必要はないと思っていますが、何度も何度も先生からお電話をいただいて、自分の注意が不行き届きであったことや状況の説明を受けたりしました。でも逆だと思うんです。先生が私たちにお詫びをするのではなく、そんな心配をかけてしまった親として先生にお詫びをしなければならない。ひとクラス36人もいるわけです。(私のときは45人でしたが・・・・)先生方に降りかかる一年間の様々な問題は、私たちの想像を絶するものであったと思います。社会的にも荷を背負う職業です。そして、それを経てこの卒業式があります。・・・・・しずかな、透き通る音楽に合わせ、担任の先生がクラスの先頭となって入場してきました。その目は前方一点に集中し、唇をかみ締め、胸を張って入場してくる姿。感動しました。小さな体の先生が、ひときわ大きく感じました。 やり遂げた、達成感という光を存分に周囲に放っていました。『先生、ありがとうございました』妻と私は、遠くに仰ぐ先生に同様の言葉を心で伝えました。
卒業式を終えて翌日、担任の先生からお電話がありました。たまたま私がその電話に出ました。先生『いやー北澤さん、ご卒業、本当におめでとうございます。』 私『いやー先生、本当にお世話になりました。卒業式、先生の姿に、本当に感動しました。すばらしい先生と出会えて、大志も幸せです。ありがとうございました』 先生『実は、申し訳ございませんが、卒業証書に訂正がございまして、これから北澤さんにお邪魔していったんお預かりしたいのですが・・・』 私『先生、先生はサービス業じゃないんですから、そんなことする必要はないですよ。すぐに持って行かせます。』
確かに、卒業証書という特別なものですから、学校側としての対応はその通りだと思います。でも、父兄側は先生に、絶対に絶対にそんなことをさせてはいけないと思います。先生の権威、存在の価値が半減してしまいます。私の周囲には教員職が多いのですが、余りにもこの『人づくりの聖職』が窮屈です。生徒の人生に多大なる影響を与える先生です。私にもすばらしい先生方との出会いがありました。親よりも長い時間を共にしていただく先生方の目が、もっともっと爛々と輝く環境であって欲しいと、切に願います。・・・・・私ごときがとやかく言えることではないかもしれません。聞くところによれば、その根は深く、重く、余りにも大きな問題のようですので。
そして明日、中学校の入学式です。桜の花も満開です。自分の子供がもう中学生です。驚きです。どんな人と出会い、どんな中学生生活を送っていくのか。3年後の卒業式のとき、どんな感情を携えて巣立っていくのか、楽しみです。
おかげさまで、来月このカタロ通信は『100号』となります。いろいろありました。8年と4ヶ月続けてまいりました。ご愛読いただきまして、本当にありがとうございます。これからも皆様のお役に立つ存在であり続けるよう、がんばります。
6月になりました。もう一年の半分が過ぎようとしているのですね。いかがお過ごしですか。
何度もお伝えしておりますが、おかげ様でカタロ通信は100号の節目を迎えることができました。ご愛読いただきまして、本当にありがとうございます。
100号編集に当たりスタッフと過去の写真を振り返ったのですが、ほんと、いろんなことがありました。オープニングの弦楽四重奏のコンサートではモーツアルトに酔いしれ、月一回の企画では『なんで工務店がこんなことやってるの????』と言われ続けながらカルチャースクールを開催してきました。『工務店』の新しい試みに当時、父である社長とは喧々諤々。それまでのOB施主様からも『??????』。理解をしてくださった方は稀なほうで、企画を立てても人が集まらず『梅』とか『桜』で場を持たせたこともあったりしました・・・。
また、社員とのコンセンサスを得ることができない時期もあり、カタロ通信は右へ行ったり左へ行ったり・・・・。試行錯誤は今でも続いています。『このやり方が商売に結びつくには10年はかかるよ!』というアドバイスも受けたりしました。でも、そこまでしてもやり続けてきたかった理由を考えてみました。
いい機会なので、ほんとうによくよく考えてみました。
そしてそれは、『家づくりという仕事に「意味と価値」を探し求めている結果だ。』という、結論が出ました。
企業の目的を「利益の追求」という人もいます。「経営」は「継栄」だ。という人もいます。「顧客満足の追求だ」という人もいれば、「社員満足が顧客満足を創造する」という人もいます。いろいろな切り口でいろいろなことが言われる訳ですが、、、私にとってはどれもがピンとこないわけです。そのような目的だけでは、仕事に対する熱烈な感情が湧きあがってこないのです。
『カタロ』は『語ろう』を語呂合わせした造語です。いろいろな人が集まり、語り合う場所にしたかった。
今、世の中で起こっている様々な出来事。なんか変だと誰もが感じています。このままではまずいよなぁ、と誰もが口ずさんでいるんです。『国家の品格』という本がベストセラーになったのは偶然ではありません。
だれもが感じていることなのです。いいこともたっくさんあるけど、そうでない部分もずいぶん多い。新聞で、テレビで、ラジオで、、、書店にはうつ病の時代を象徴する書籍が山積いうまでもないことですね。
その『いま』に生きている私。なにかその生きている証として、いまの世の中がほんの少しでもいいから、よい方向になることに貢献したい。自分のが少しでも人様の役に立ち、世の中が今より少しでもよい方向になることにこの命を使いたい。
私は建築屋ですから、見方を変えれば家をつくればいいんです。時流をつかんで、売れる家をつくればいいんです。本当なのかウソなのか見分けがつかないほどのチラシで消費者の心理をつき、利益を出して社員や社会に還元していく。それで文句を言う人は誰もいません。急成長する企業経営者はむしろ『カリスマ経営者』とか言われて賞賛されるでしょう。
でも歴史を繋いでいくバトンを持ったランナーとして、仕事の『意味と価値』を深く深く考えたとき、上記のような経済合理性の追求だけでは納得ができないのです。命が燃えてきません。
カタロ活動は、そんな思いをこめた活動です。私たちは家づくりのプロ集団ですから、いい家をつくるのは当然です。お客様が命を担保にしてまで手にしようとする家づくりです。一切の言い訳、妥協は許されないといっても過言ではないでしょう。最新の技術や新製品に常にアンテナを張り、常に理念に照らし合わせた取捨選択をしなければなりません。でも私にとっては、それだけでは不十分です。モノだけではだめなんです。家づくりを通して、何を為さんとしているのか。家づくりの結果、その先にあるものは何なのか。その家族がこの器の中でどんな絆を結び、どんな成長をしていくのか。家づくりの哲学ともいえるでしょう。その具体例が、木造軸組み工法であり、無垢材であり、自然素材であり、『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』であり、カタロ活動なわけです。
また身勝手でくどい話になってしまいました。いずれにしましても、これからもカタロ活動、頑張っていきます。まだ100号です。これからこれから。
さて、季節は梅雨に入っていきます。湿度が高いこの季節。新緑が満々と水分を含み、気温もどんどん上昇していきます。やがて青空の広がる7月。夏です。そうです。『夏・森で遊ぼう』です。お子様がいらっしゃらなくても、老若男女どなたでも楽しんでいただけます。7月22日(土)です。是非、お申し込みをお待ちしております!!