
鯉のぼりが気持ちよく空を舞う季節となりました。いかがお過ごしですか。
皆様に大変お世話になりました石原茂子さんの送別会は、職人・取引業者を合わせて50名もの方々出席のもと、盛大に開催されました。クス玉が割られたり、60本のバラの花を一人ひとりから渡すというシーンがあったり。。。仕事をやり遂げた方だけが手に出来る称賛と栄光を感じた場面でした。
さて、父の半生記です。
上棟式が華々しく執り行われ、棟梁送りまでしていただき、自宅では母が何十人分ものてんぷらや刺身・煮物をテーブルにずらりと並べ、誰もが活気の中に酔い明かしました。
次の朝、なんと、大工が誰も出社してこないのです。全員、無言で欠勤。そして脱退。あの盛大な上棟式から一夜明けて、父はひとりぼっちになってしまいました。
これは、急成長した父への嫉妬心から来る一部人間主導による
嫌がらせでした。でも父はこう述懐しています。『あんな、とんでも
ないことしてやられたけど、おれは、一度もその人たちを恨んだこ
とがないんだ。』『あのおかげで「なにくそッ!!」っていう気持ちが
湧いたんだ』と。
それからが大変でした。大工さんがいないわけです。施主様に
知れるわけにもいきません。母も小さいぼくら子供をかまうことも出
来ず、釘袋を下げて現場に入らなければならなくなりました。朝5時に起きてやっと見つけた大工さんを迎えにいき、帰りも送らなければなりません。自宅に戻って山積みの見積もりや図面書き。その多忙極める日常は想像に難しくありません。とてもとても家族のコミニケーションなんていう空気ではありませんでした。
そのため、ぼくと兄貴はほとんど祖母に育てられたといっても過言ではありません。学校から帰ってくると、こたつの天板を裏返しておはじきをし、近所のおばあちゃんたちと一緒にお茶のみするのが日課でした。
大工さんをかき集め、母も現場に立ち、施主様に事件のことを知られることなく、なんとしてでも工期までに仕上げなければならない理由がありました。施主様宅で、親戚一同集めての七五三が開かれるのです。。。。。そして無事、完成しました。
後に、施主様からこう言われたそうです。『北澤さん、本当にお世話になりました。おかげさまで本当にいい家が出来たよ。だけど北澤さん、よくがんばってくれたなぁ。おれはぜーんぶ知っていたよ・・・・』このときの感動を、父は何度も何度も話してくれます。人の心の交わりは、本当にすばらしいと思うのです。
ひとりになってしまった父ですが、『これからの大工は個人ではだめだ』という信念に揺るぎはありませんでした。有限会社共栄建設は解散し、昭和47年に有限会社北澤工務店を設立しました。その後の破竹の勢いは龍ヶ崎市内にも響き渡るようになりました。
まだまだ若造の父です。市内には老練な棟梁や、顧客との結びつきが強い地元大工がたくさんいる中に飛び込んでいったのです。昔は『営業行為』をする大工を彼らは冷笑していました。『やつは、え・い・ぎ・ょ・う しないと仕事が取れないんだ』と。『ペコペコ頭下げて、、、ったく!!』と。 しかし、そんな非難にも負けず、父は健闘しました。紹介が紹介を呼び、どんどん成長していきました。仕事が減る大工もいたことでしょう。彼らにとっては死活問題です。おもしろくない面々が増えるのも当然です。後にこんな物騒な話もあったそうです。『北澤ぁ、おめぇ、よく夜の町なか歩けたなぁ。。。』
仕事一本やりの父の憩いのひと時は、昔から続けている『つり』です。特にヘラブナ釣りには目がありません。職人仲間にも同好者が多く、私や兄も小さいころはよく引っ張っていってもらいました。また、温泉旅行も小さいころの大きな記憶です。油壺や熱海には何度も行った記憶があります。そして宴会では、酔っ払った父や職人が大声ですぐけんかを始めるというのも脳裏に焼きついています。
父にはひとつの夢がありました。『龍ヶ崎で一番の工務店に
する』です。高校に行くことが出来なかった父。公務員になった
級友達に負けたくない一心であったといいます。年月を経て、
努力の甲斐あって、やがて回りから『龍ヶ崎では北澤工務店が
がんばっているらしいな』とささやかれるようにまで成長すること
が出来ました。
父が40歳後半ごろになると、ひとつの命題が明確になってき
ました。それは、『この仕事、誰にどうやって引き継いでいったら
いいのか・・・・』ということでした。自分一代で見切りをつけるか、
それとも誰かに引き継ぐか・・・・で、わたしの登場となってくるわけです!!!
過去を紐解いでいくと、正に人生はドラマ。とても紙面に書ききれるものではありません。多くのお客様との出会いや職人との関わりだけでも一冊の本になることでしょう。その意味では今回の連載の記述は、余りにも淡白であったかもしれません。来月は私が会社に入社し、葛藤と闘う父を描写したいと思います。
10年目の『森で遊ぼう』の日程が決定しました。7月22日です。どなた様もきっと記憶に残る、最高の一日になると思います。ぜひ今から、予定を空けておいてください!!!



温泉地の懐かしの一枚
おさむ社長とお母さん
職人たちと共に・・
月日の流れるのは本当に早いものです。もう6月です。紫陽花のきれいなこの季節。ふっと視点を変えると、雨音もとても気持ちが良いものです。いかがお過ごしですか。
先月号の父の奮戦の記述にも、多くの方から反響をいただきました。『涙がとまらなかったわぁ』とまでおっしゃってくださる方もいて、とってもうれしかったで
す。
さて続きです。父は共栄建設の解散という試練を乗り越え、有限会社北澤工務店を設立しました。その後はお客様の支持を得、紹介のみの受注で順調に成長をすることができました。そんな父は、当時も今も、同じ事を何度も何度も話します。『親父が立派だったんだよ、親父が。あのひげの親父が立派だったからここまで仕事させてもらえたんだよ』と。
父は私や兄に対し、先祖様を大切にすることだけはうるさく教育しました。毎朝お線香を焚くことや、初物は必ず仏壇に供えること。兄はいまも給料袋を供えています。毎年お中元やお歳暮が仏壇の前に山のように積まれていた光景も目に浮かびます。ひげの親父の存在に支えられ、たくさんの課題を抱えながらも順調に成長した北澤工務店ですが、いつからか後継問題が父の頭をよぎるようになりました。父が口癖のように語っていたのは『こんな大変な仕事はお前らには継がせられない』ということでした。だから『お前らは自分の好きな仕事をするがいい』と何度も何度も語るのでした。
先に進路の判断をしたのは兄でした。兄はいろいろ迷った結果、教員の道を選択しました。そして、なんだかんだいろいろありましたが、結局私が北澤工務店の後継をすることに手を挙げたのです。
びっくりしたのは父です。『こんな大変な仕事は、お前らには継がせられない』と語っていた父ですが、当然ながら心の奥底ではそれを願っていたわけです。その気持ちの現れの代表は『息子が後をとってくれるんなら恥ずかしくない格好にしないと』と、今ある大きな作業場を建設したことです。当時としては市内でも有数の規模・設備内容でした。より一層仕事にも励みが出たと、まわりの職人は語っています。
そして私の入社。新卒なのに若干寄り道したせいで24歳。何もわからぬ私が初日から『センム』と呼ばれた頃の奮戦記は『おさむのひとりごとbU2(平成17年5月号)』からの連載をご覧ください。ホームページでご覧いただけます。
入社して最初のころは謙虚で真面目だった??私も、次第に仕事に慣れてくるっているよりも実力がついてきていると感じている私。時代のトレンドは親父よりも俺の方が知っている!と強く感じるようになってきたのです。父のやり方が気に入らない。あれも気に入らない、これも気に入らない。俺の業績のラチがあかないのはぜーーんぶ会社のせいだ、親父のせいだ、と。今思えば、ひどい息子でした。『こんなはずじゃなかった』と父は感じていたに違いありません。母は父と私の間に立って、何度も何度も涙を流していました。同居していた兄も私のことでは何度も父とけんかになったそうです。(本人曰く、『いまでもそうだ』とのことで。。。(笑))
そんな頃、ある不動産会社から土地購入の話が届きました。造成中の龍ヶ崎ニュータウン内で将来は龍ヶ崎の中心地になる、とのことでした。それが現在本社としてある藤ヶ丘の地なのですが、 当時の会社の規模としては大きすぎるほどの借金をしての購入でした。世相ではバブル崩壊も一段落したと言われ、土地も下げ止まりといわれていたのに、、、その後の土地価格の下落はあまりに悲しい現実ですが。。。
創業者と二代目の確執は、北澤工務店も例外ではありませんでした。『俺の目の黒いうちに失敗しろ』 父は決断したのです。このままでは親子関係までもがダメになってしまう。分かれて仕事をしよう、と。
父が本拠地を構える地から、ほんの数分の藤ヶ丘の地に私は事務所を構えました。運転資金も準備してくれました。いま思えば、父の心中は察するに余りあるものがあります。そしていつだったか、お酒を飲んだときだったか、ポツリと語ったときがあります。『おれはなぁ、おさむといっしょに、仕事がしたがったんだ。。。』
時が経ち2001年1月1日付けをもって、北澤工務店の創業者である父は社長から会長となり、私が代表取締役を世襲しました。
間もなく、これまで病気一つしたことがない父の身体に異変が起きました。事務所に行ってもなんとなく居場所がない。周りは皆『社長・社長』と自分ではなく息子を慕ってくるように感じる。自分の役割がないように感じる。疎外感・孤独感が父を支配してしまったのでしょう。
幸い大事には至らず、軽い脳梗塞で済んだのですが、父の気持ちが、痛いほど伝わってきます。今ではほとんど会社には顔を見せなくなった父ですが、いつも私や社員一人ひとりを大切に見守ってくれています。畑で採れた作物を届けてくれたり、旅行のお土産も年中です。昭和10年生まれですから、まだまだ現役!
私は今回この連載を書かせて頂いて、ほんとうに良かった。アタマで知っていたつもりだったことが、感情のレベルで感じることが出来た。先日は父の肩もみをしてきました。一緒に仕事をする時間は少なかったけれど、きっとそれにも深い深い意味と価値があったのだと思います。
さて、いよいよ来月7月22日は10年目の『森で遊ぼう』です。ぜひぜひ、お待ちしております!!!



いつの間にか草が伸び放題になって、蚊も出現し、蒸し暑い陽気になってまいりました。いかがお過ごしですか。
前月号まで連載で父の半生記を書いて、なにか一段と父がいとおしく感じるようになりました。世界でただ一人しかいない『親』との関係性。今の時代だからこそ、とってもとっても大切なのかもしれませんね。
【初めての森で遊ぼう】
今年で10年、10回目の『森で遊ぼう』の開催が間もなくとなりました。気がつけば10回目。10年の歴史を少しだけ振り返ってみたいと思います。
『森で遊ぼう』は、当時モデルハウスカタロの責任者をしていただいていたKさんの発案によって生まれました。それでなくとも当時のカタロ活動は『工務店らしくない』存在でしたから森林公園で親子工作教室やキャンプファイヤーをやるなど、誰もが想像できない内容でした。
私自身も、当初は今ほどには思い入れがあったわけではなく、Kさんが一所懸命やるというからやる、そんなイメージでした。(Kさん、ごめんなさいね・・・)
そんなきっかけでしたから、第一回目は手さぐりの中の手さぐり状態。ご協力をいただいた演奏家の三浦能様や、龍ヶ崎幼稚園様には本当にお世話になりました。なんといっても、『工務店』がそんなことやるものですから、まず人が集まらない。とにかく人がいないことには始まらないわけですから、梅であろうと桜であろうととにかく声をかけて来ていただきました。
あれよあれよとプログラムは進行し、あっという間に終わってしまった感がある、第一回目の『森で遊ぼう』。一番記憶に残っているのは子供たちと一緒に無心で叩いた、竹の楽器のあの狂信的な音色です。あのときの夕食に出た『タコス』も忘れられない味だなぁ
あの時小学校4年生だった参加者は、今年なんと成人式!!立派な大人になっているのでしょうね。
【森で遊ぼうの意味と価値】
回を重ねるごとに、『森で遊ぼう』の意味や価値を深く深く感じるようになってきました。それが『家づくり』という工務店の仕事と別々にあるものではなくまったく同じ線上にあることに気づいたのです。逆に言えば、北澤工務店だからこそ、『森で遊ぼう』ができる。
今、世の中では悲惨な事件が相次いでいる今さら語るのさえ白々しい。一億総うつ病の時代。年間3万人の自殺者、政治も企業も汚職まみれ、犯罪の低年齢化・悪質化、エネルギー問題も環境問題も高齢化問題も、本当に打つ手があるのか、子供たちに夢を語れと言ったって・・・・・・!!!
世の中ではいろんなことが起こっている。でも、人のすべての始まり、根源は、家庭なんだ。家族関係なんだ。親子関係なんだ。その家族を包む『家』という器をつくっている私たちの願いは、家族の幸せ。家族の幸せが広まらなければ、世の中は良くなっていかない。一人ひとりの家族が幸せを感じあえることが、世の中が少しでも良くなっていく方向への光なんだ。
だから私たちがつくっているのは、単なる『家』というモノではなく、家族の幸せの器なんだ。
家族の幸せは、お金がたくさんあることだけではない。大きな家に住むことや、立派な会社に入ることだけではない。いろいろな切り口はあるけれど、家族の幸せの証として私が一番大切だと思うもの、それは『家族の絆(きずな)』です。
『家族の絆(きずな)』なんて何もしなくてもほんとはちゃんとあるんだけど、何か今は世の中全体がガチャガチャしていて、感じ難くなってしまっている。ぶ厚いカラができてしまっている。だから、共通体験がとっても大切なんだ。一緒に笑ったり、一緒に踊ったり、一緒に汗を流したり、一緒に感動して涙を流したり・・・!!
【一番伝えたいこと】
『森で遊ぼう』の意味と価値はここにあったのです家族の絆を深めるための共通体験の場。一緒に笑ったり、一緒に踊ったり、一緒に汗を流したり、一緒に感動して涙を流したりする場がここにはあるんです。
そして私が一番大きな声で伝えたいこと。それは『子供に夢を語れって言うまえに、大人が夢を語ろうよ。お父さんはなぁ、こういう仕事がしたいんだ。将来はこんな風になりたいんだと、夢を語ろうよ。大人が夢を語って、輝いている姿を見てこそ、子供が輝ける将来の夢を見ることができるんだよ!!』と。
そのためには、大人はいったん肩から重い荷物を下ろすのがいい。『素の自分』になってみるのがいい。そしたらきっと、わくわくドキドキの自分に出会えるだから『森で遊ぼう』は、子供のための企画ではない子供のエネルギーをちょっとだけ借りて、大人が思いっきり子供になる日。曇りのないすっぴんの笑顔があふれる時間と空間を一緒につくりましょう!!
それが私の願い。それが北澤工務店の使命です。
その節目となる10回目の今回ですから、それはもう、大変なことになりますよ、きっと!!!!!心よりご参加をお待ちしております。




今月号のカタロ通信がお手元に届くころには、『第10回 森で遊ぼう』も無事終了していることだと思います。この文を書いている今日は7月5日木曜日。まだ参加予約人数も100人弱という状況です。さてさて、どんな『森で遊ぼう』になったのか、楽しみです。なんといっても、今年の森で遊ぼうのキャンプファイヤーは筋書きがないんです。どんな時間・空間になるのか、誰もわからない。その場にいた人だけが体験できたのですね。
≪講師の依頼≫
ある縁で、となり町の中学校で講演をすることになりました。中学2年生を対象に、仕事や人生について語るというものです。まだ私は40歳ですから、彼らのお父さんやお母さんと同じくらい。立派な話しなどできるわけもないのですが、自分が体験してきたことなら話すことができます。そして最近?気づいたことなのですが、私は人の前で夢を語ったり、体験してきたことを語るのが好き!!なようなんです。意気揚々と出かけていきました。
≪学校に到着≫
駐車場から校舎までは、グラウンドを横断しなければなりません。見上げると、鉄筋コンクリート造の古びた白い校舎がありました。私はこの鉄筋コンクリート造の校舎が好きではない。耐震性・耐火性などを考慮し、避難所としても使えるようにするために、こんな形になっている。
でも、私には、知・徳・体・情・感性を育む場所には到底思えない。ただ単に、合理的に、大量生産・大量消費の時代の象徴のごとく、鉄筋コンクリートの校舎は作られた。床は固く、壁は白い。天井は皆同じ高さ。声が冷たく反響し、結露がはなはだしい。『木造がいいのになぁ〜』と 思いながら昇降口に入ると『講師・北澤修様』と大きな表示!やや緊張しながら校長室に案内されました。
≪いよいよ始まる≫
多目的室のような広めの教室で講演会が始まりまし
た。すごい先生!!のような紹介をしていただき、いよいよ私の出番です。
だいたい、子供たちは講演なんて聞きたくないんです。押し付けがましい立派な話しを聞くなんて、まっぴらなんです、たぶん。前に立ってもそんな雰囲気が伝わってきます。『期待してないぞー』みたいな雰囲気。
私は、語る機会を頂けたことがうれしくてうれしく
て、そんな子供たちの雰囲気などお構いなしに語り始めました。まずは自己紹介。そして質問『あぁ。君たち俺の話し聞いてくれているかなぁ。さて質問。俺の身長は何センチって言ったっけ?』2、3人の生徒が手を上げる。一人を指すと『183センチ・・・』正解です。私は用意しておいたチュッパチャップスを彼に進呈。もう会場はひとつです。なにを質問してもものすごい反応。目がきらきらしてくるのがわかる。彼らも、私の話を楽しんで聞いてくれるのがよくわかる。
そうなればこっちのものです。写真を交えての私の旅行の話しや、目標と目的の違い。一人ひとりが大切な大切な存在であること、一人ひとりの顔が違うように、指紋が違うように、声が違うように、君にしかできない仕事や人生が必ずある、そんなことを語りました。≪一番伝えたいこと≫
時間も終わりに近づき、私からの切なる願いを話しました。『君ら、朝になってぼんやりと起きて、なんとなく歯を磨いてご飯食べて、なんとなく学校へ行ってぼんやり授業受けて、なんとなく部活やって家に帰り、ぼんやりテレビ見てご飯食べて、なんとなくゲームやったり風呂に入ったりして寝て、また朝になって同じ一日が始まる。そんな毎日送っていないか。』
『君たちにお願いがある。それはさ、「まあまあな人生」なんて送ってほしくないということなんだ。これから社会人になって、まあまあな仕事して、結婚して家族ができて、なんとなく年を重ねて死んでいく。君がいたのか、いなかったのか、わからない。そんな人生を送ってほしくないんだ。』
『たった一回しか人生はないんだ。中学2年生も2度とない。だから、わくわくドキドキする様な毎日を送ってほしい。それが今なくても、求め続けてほしい。』
≪校長室で≫
最後に語った言葉は、まるで自分が自分に言い聞かせるような、熱いものを自分で感じるほど力が入ってしまいました。
講演後、校長先生とお話をする時間がありました。そこでの会話は、今現実問題として毎日生徒と対面しているがゆえの生の声でした。『今の生徒は、集中力がないんですよ・・・』『今の生徒は目的意識がないんですよ・・・』『今の生徒は昔では考えられないような問題が多くて・・・』『今の生徒は・・・』確かにそうなのでしょう。生徒の問題に終わらず、家庭の問題、社会の問題、学校側にも問題が山積しているのでしょう。『ほんとうにそうですねぇ。。。しかし、生徒こそが時代の申し子ですからね・・・。』としかいえない私。
≪帰り際に・・・≫
このような機会を下さったことに感謝を述べ、校長室を後にしました。白い鉄筋コンクリートの校舎を背にグラウンドを歩いていた時のことです。「さようならぁ」と小さな声。あれ、俺のことかな、と振り向くと、3階から手を振っている少年がいる。全身に電流が走る思いだった。『おぉ〜!!ありがとなぁ〜!!がんばれよぉ〜!!』と大きく手を振る私。少し歩くと今度は隣のクラスから大きな声で『さようならぁ〜!!』と!!もう私は無我夢中で手を振って『おぉ。。。おまえらぁ〜! ありがとなぁ〜! がんばれよぉ〜! がんばれぇ〜!!!』
背を向けて歩き始めると、大勢の目線を背中に感じました。その背中に大きな大きなエネルギーを感じて胸が一杯になってしまいました。
≪いのちからの声≫
あの時の声は、なんか、ただの『さようなら』の言葉ではなかったような気がしてならないのです。鉄筋コンクリートに閉ざされた空間から、『おれ、、、がんばるよ!』『ありがとう!おさむちゃん!!』そんな言葉に聞こえるんです。『助けてくれぇ〜。』とも聞こえる。車を乗り出してから、じわーっと胸に感じるものが私を支配しました。彼らのこころの奥底のエネルギーは、今も昔もまったく変わっていない。彼らは時代の申し子だ。彼らが新しい時代をつくっていくんだ。人は、素晴らしい!!
暑さも本番!それも過ぎれば秋の風。時が経つのは、ほんとうに早いものですね。ではまた。
第10回目の『森で遊ぼう』が、大きな怪我や事故もなく、無事に終了することができました。ご参加いただきました皆様、朝からご協力をいただきました職人の皆様、ほんとうにありがとうございました。
あの感動は、今でも激しく私の心に響いてきます。あのキャンプファイヤーの激しい炎が心の灯火として灯り、参加してくださった方々のこころの灯台として輝き続けることを切に願っています。
≪カタロの今後≫
モデルハウスカタロが、リニューアルのために一時使用できなくなります。ご利用いただいている皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。で、どんな風にリニューアルして、どんな風に展開をしていくのかを今回は書いてみたいと思います。
まず、初心に返ってみますと『カタロ』は、『語ろう』をゴロ合わせした造語でした。10年前に考えていたモデルハウスの形は、たくさんの人が寄り合って、いろいろな世間話や夢や理想を語り合う場所にしたかったのです。
≪なぜ?≫
その背景には二つの理由がありました。ひとつは営業的発想です。建築業界は不信感募る中で、意味のない激しい泥仕合が繰り返されています。情報があふれるばかりで、お客様は知れば知るほど『不安』が増大。看板の大きさや知名度、担当営業マンの押しの強さや値引き前提 の見積もりを提出する値引き合戦が日常化しています。家づくりに対して無力感を感じていく私。『同じ土俵には乗りたくない』『お客様は、高ければ不満・安ければ不安』『一番欲しいのは安心なんだ。』、と強く感じたのです。これから地元の工務店が、お客様から必要とされる存在になっていくためには、常に近くにいる存在、人と人のつながりをつくっていける存在でなければならない。
だから、『見せる住宅展示場ではなくて、使える住宅展示場をつくろう』 という発想が生まれたのです。
もうひとつの理由は、世の中全体が過剰な『個人主義』になってきてしまっていて、気がついたら一人ぼっちの自分・・・・、なんてことを感じていたからです。自殺者数の異常な統計や、うつ病、不登校、離婚や虐待の常態化は何を意味しているのか。
幸せになるために結婚をして、幸せになるために何とかがんばって家を建てたのに、全然幸せを感じられない。。。あるいは、自分の感情にさえ耳を傾けず、無感動・無関心・無表情になっている自分がいたり、知識が邪魔をしてまったく行動ができない自分がい
る。でも、心の奥底の私は、もっともっと自由で、もっともっと明るく積極的に『生きたい!!』と叫んでいる。私だけではなく恐らくすべての人が。
ちょっと大げさですが、そんなことに気づいてそんなことを感じている方と共に語り合える場所があったらいいな、というのが二つ目の理由です。
≪建築業の北澤工務店≫
北澤工務店は住宅建築の専門会社です。私はその代表取締役社長です。だから当然のことながら、いい家をもっともっと研究して作っていきます。いまだもってお客様にご迷惑をおかけしたり、間違いや失敗もあったり。。。改善カイゼンを繰り返していい仕事をしていきます。そして、今回のカタロのリニューアルです。モノとココロの融合の場所。今後の北澤工務店の家づくりにとても大きな役割を担ってくると思います。
≪どんなお店?≫
工事の内容は、喫茶店であったスペースとレンタルリビングのスペースを建具で仕切ってワンルームのようにし、ウッドデッキのスペースは増築をして全天候型のスペースに。
モダン和風の店内には『市の日』などで出展をしていただいている方の作品が並び、たっぷりめの座席と甘味処のようなメニューを考えています。カウンタースタイルのスペースを確保し、たくさんたくさんお話しをしたり聴いたりしたいと思っています。
このお店はまだ名前も決まっていませんが、カタロ通信をご愛読いただいている方のためのスペースであることだけは決めています。
≪やりたいこと≫
これらは、私の心の奥底から湧きあがってきた欲求です。とめどなく湧き上がってくる、押さえ切れないほどの欲求なのです。だから、なにが何でもやります。いろいろな意見や異論、経験していくであろう失敗も、すべて財産にしていくつもりです。この仕事を通して、北澤工務店に関わった方と共に、幸せを実感できる人生を歩んで生きたい。混乱と混沌のこんな世の中に生まれてきたことにさえ意味と価値がある。その世の中がほんの少しでもいいから、わずかでもいいから、よい方向になっていくことに貢献できるのなら、私の人生は悔いがない。
はぁ、、、思いっきり書かせていただきました。まるで青年の主張?のよう。まだまだ残暑厳しいですが、外が少しずつ秋色になってくることを願いながら、、、今月もがんばります。