〜自分の娘に振り袖を着せたような家づくり〜
竃k澤工務店

301-0855 茨城県龍ヶ崎市藤ヶ丘7-1-7
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おさむのひとりごと
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〜 N0.91(平成19年10月号) 〜

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 台風9号が関東地方を直撃し、大きなツメ跡を残していきました。上陸前は『雨台風』の予報でしたが、とんだ『暴風台風』でしたね。いかがお過ごしですか。

≪同窓会≫
 8月12日に、中学時代の同窓会が開催されました。昭和57年度卒業・龍ヶ崎市立城南中学校274名が対象です。6年前に第1回を開催しましたので、今回で2回目です。40歳という2回目の成人式の節目であることを理由に開催しようということになりました。
 前回は先生方全員がそろい、120人もの同窓生が集い、それはそれはにぎやかで感動的な同窓会でした。2次会はほぼ全員出席。3次会でもほとんど帰らず。4次会でも50人以上残っている始末。結局幹事でラーメンの仕上げをしたのが明け方の4時。。。。さてさて今回は。

≪準備から≫
 同窓会を開催する上で一番大変なのは、『名簿管理』です。今回は前回の成果があるのでそれほどでもなかったのですが、それでも連絡がつかない仲間が大勢います。結婚して姓が変わったり、離婚してまた戻ったり、本人が転居したり実家も転居したり・・・。
それと現代社会の弊害も体感しました。明らかに僕のことを知っている親御さんに電話をして、『城南中学校の同級生の北澤修と申しますが、○○さんの連絡先を教えてもらえませんか。』と尋ねると、『あぁ。。。おさむくんねぇ、、わるいんだけどぉ、誰にも教えるなって言われてるから・・・』 同級生を名乗る商品の売りつけや勧誘が横行しているからです。
 
≪いよいよ開催≫
 『同窓会の打ち合わせ』と称した飲み会に、何度も何度も有志が集まり(これが楽しかったりして)、準備万端整えて当日を迎えました。
 第1回目の同窓会と比較して参加者は半分でしたが、その分グループが分かれず、まとまりのある同窓会であったと思います。恩師の先生方も8人も集まってくださり、当時の私たち学年への思いを聞くと、胸に熱いものがこみ上げてきました。記憶を甦らせながら卒業アルバムをスライドで上映したときには大賑わい。まるで少年少女にもどった40歳のオジサンオバサン。何の利害関係もない、純粋無垢な笑顔が会場にあふれんばかりでした。

≪同窓会の意味と価値≫
 今回改めてぼくは感じました。『ぼくは、同窓会が大好きなんだ!!』ってことを。みんな、あの校門を、一緒に卒業したんだ。あれから25年が経った。15歳の少年少女は、40歳になった。この25年間9125日、ひとりひとり、いろんな人生があった。ある女性は、実子が23歳になる。もうすぐおばあちゃんになると言うのだ。韓流ライターと称する女性は、時代の流れに乗って本を出版したり日本と韓国の往復の毎日。ヨン様の取材もしたとか。消防士、医者、主婦、事業家、公務員、農家にレストラン経営、会社員にヘルパーに風来坊???みんなみんな立派な大人になっちまった。
 一人ひとりがいろんな人生を歩んできた。喜びあり、感動あり、悲しみや怒りあり。寂しさも優越感も劣等感も、孤独感も孤立感も、病気も賞賛も褒賞も、みんなそれぞれが、それぞれだけしかできない体験を、いっぱいいっぱい背負って同窓会に集まってきた。そして、ありったけの体験と思い出を語り合うのでした。

≪この空間は・・・≫
 この同窓会の空間だけは25年前に戻ることができる。生きるためにいろんな荷物を背負い、重い鎧を身に着けてきてしまったけれど、この場所だけは荷物を下ろし、鎧を脱いで、裸になることができる。ありのままの自分になることができる。何と身軽なことか。何と自由なことかっ!北澤工務店では『社長!!』と呼ばれるぼくも、同窓会の中では『おさむッ!!!』と呼び捨てられる。実はこれが本当にうれしい。自分がとっても自分らしいな、と感じる。
 中学時代、いい思い出ばかりでない人も多いから、一概には言えないかもしれないけれど、あの会場の空気の躍動感と言うか、時間の過ぎ去るのを忘れてしまうほど活況なのは、ほとんどの人が私と同じ感覚なのだからではないか、と思うのです。

≪これから≫
 いま、個人情報保護法だとか、プライバシーがなんたらとかで、学校の卒業アルバムには名前のみで、住所とか電話番号が掲載されていないんですね。これには驚きでした。これから先、『同窓会』という言葉さえ珍しくなっていってしまうのでしょうか。それでなくても間違った個人主義が横行して、みんな一人ぼっちなんだ。同窓生から声もかけられない人が多くなる。自分の『存在』が不明確になっていく。孤独感や孤立感を感じる人がもっと増えていく。寂しさゆえの犯罪も多い同窓会名簿くらいなんとかならんものかなぁ、と思うのは私だけではないと思うのですが・・。

 やっと秋風を感じる今日ですね。ベージュ色の景色を見ながら、仕事のこと、家族のこと、そして自分の人生のこと、感じてみたいと思います。ではまた。

 すっかり秋らしい陽気となりました。今年の夏は激しい暑さでしたから、この季節の穏やかさに感謝の気持ちさえわいてきます。いかがお過ごしですか。

≪Kさんとの出会い≫
 森で遊ぼうで出会ったKさんのことを書いてみたいと思います。
 Kさんは4年ほど前から、お孫さんとお二人で連続して森で遊ぼうに参加してくださっていました。通常は親子での参加のため、300人以上集まる会場でもとても目立つ存在でした。お孫さんと一緒にバルサヒコーキを作ったり、すいとんを食べたり、キャンプファイヤーをやったり・・、とってもとってもお孫さんを大切にしている様子が伝わってきて、『今年も来て下さっているのだなぁ』と、毎回感じていたものです。

≪娘さんが来社≫
 今年の2月頃だったろうか、Kさんの娘さんが突然事務所にいらっしゃいました。お父さんであるKさんが病魔におかされ倒れ、済生会病院に入院していること。病状が安定して退院することになり、肢体が不自由になったため手すりを付けてほしい旨を伝えてくださいました。
 あんなに元気だったKさんが倒れた!?信じられない気持ちでしたが、とにかく何とかして差しあげたいと、準備をすることにしました。

≪数日後・・・≫
 その数日後、何と今度はその本人が事務所に見えたではないですか!外出の許可を取って、真っ先に北澤工務店に来てくださったとか。車を横付けして、両肩を娘さんと看護師に支えられながら、重たい足を引きづりながら、笑顔いっぱいで事務所に来てくださったのです。思わずぼくも手をとって、握手握手。『本当によく来てくださいました!!』
 『いや〜、きたざわさん、、、おれもこんなんになっちまってよぉ〜。こんどいえにかえっか
ら、てすりをつけてもらいたいんだぁ。。。』
 倒れた際に耳も遠くなった様子。でもあのいつもの満点の笑顔!ぼくはうれしくてうれしくて、泪がこみ上げてきて止まりません。急いで手すり工事を完了することを約束しました。

≪森で遊ぼう≫
 今年で10年・10回目となった『森で遊ぼ
う』。その準備は3月ごろから始まります。4月には会場となる森林公園の抽選会があり、日程が決まります。参加募集はその後のカタロ通信で発表ですから、6月以降となります。
 5月のあるとき、ふとKさんが娘さんと共にリブラ店にお見えになりました。いつもの満点の笑顔のKさん。『ことしのぉ、もりであそぼうは、、、いつなんだぁ。もうしこみしたいんだけど・・・。』と、まだ申込用紙の準備もできていない中、Kさんは一番で参加を申し込んでくださったのでした。
 森で遊ぼうの会場となる森林公園は芝生が敷き詰められています。足が重くなってしまった今のKさんにはちょっとしんどい。だから、孫と一緒にもう一度森で遊ぼうに参加することを目標にして、リハビリをがんばる!というのです。こんなうれしいことはない。森で遊ぼうに参加することを生きる目標にしてくださるというのです。

≪その日≫
 そして7月22日、第10回・森で遊ぼうが開催されました。前日まで豪雨。当日朝もぱらぱら雨が。でも始まると雨は上がり、途中からは太陽が差すほど!!誰もが不思議な力を感じたものです。
 思い入れのある第10回目。特に今年のキャンプファイヤーには格別の思いを入れ込みました。そしてそのメインともいえるファイヤーストームへの点火には、一つの夢がありました。それは、今日までリハビリをがんばってくれたKさんに点火してほしいということ。いろいろなことがあった人生に、万感の思いを込めて、このでっかいファイヤーストームに火を灯してほしいと。会場まで歩けないなら、ぼくが肩を抱いて。肩を抱いても無理ならばおんぶしてでも、ぜひ、Kさんにとっておきのシーンをプレゼントしたかった。当日までそれを秘密にしておいて。
 Kさんは娘さんとお孫さんに支えられながら会場に現れました。でもどうしても体調が悪く、帰らなければならないという。『いやぁ〜、きたざわさん、きもちは、ほんとうに、うれしいよ。うれしい。だけど、だめだ、帰る。』と。
 キャンプファイヤーの時間が近づいて、自宅にもう一度お誘いの電話をしました。ぼくがこれから迎えに行くから、と。終始笑顔のKさんが受話器から伝わってきました・・・。
そして、これが、Kさんとの最後の会話でした。

≪Kさんが教えてくれたこと≫
 Kさんは、森で遊ぼうの数日後、再び倒れ、看護の甲斐なく亡くなられました。お家に行くと、森で遊ぼうの写真や、お孫さんと一緒に作ったバルサヒコーキが飾ってあります。ぼくはKさんの人生を詳しく知らない。でも、Kさんは娘さんを心から愛していた。お孫さんを、こころから愛していた。それがぼくには強く伝わってきていた。人間として、最もシンプルで大切な感性。それは人を愛するということ。Kさんはいつも笑っていた。笑顔がとても素敵だった。告別式の時、ぼくは亡骸を見ながら、言葉が湧いてきた。
 
 『Kさん、ありがとう』
 
 世話しない毎日を送っていると、感じることを忘れてしまう。考えてばかりいる。頭でっかちなんだ。損か得か。利か不利か。快か不快か。上か下か・・・・・。
 できることならば、こころ静かになる時間をもって、自分自身と向かい合いたいものですね。自分の人生を静かに感じる時間を。
 ではまた。

〜 N0.92(平成19年11月号) 〜

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 今年は例年になく長く、暑く感じる夏でしたので、一気に寒さを感じるようになった感があります。もう、12月です。いかがお過ごしですか。

≪Kさんの娘さん≫
 先月号のカタロ通信が届いたころ、Kさんの娘さんからお電話がありました。あの、森で遊ぼうで出会った、Kさんの娘さんです。
『ひとりごと、読みました。。。なんども、なんども、、、読みました。息子も漢字がわからないのに、「じぃじのことが書いてあるよ」って言うと、なんども、なんども一所懸命読んでるんですよ。ありがとう。。。』

≪ある電話≫
 先日、これまで経験したことのない、例えようのないほどのうれしい出来事がありました。それは、Oさんという女性からの電話でした。
 北澤工務店では、朝礼が終わると女性陣がとってもおいしいコーヒーをいれてくれるのが日課です。その日の朝もそうでした。香りのよいコーヒーをいただきながら今日一日の工程を確認していると、一本の電話。受けたのは藤ヶ崎さんです。
 『おはようございます。北澤工務店藤ヶ崎です。。。。。はい、、、、、、はい、、、あ、いま、おりますので、、、代わりますね。少々お待ちください。。。』
 複雑な表情で私に受話器をまわす。。。
 『はい、北澤です。』
 『・・・・・・・・あぁ。おさむ社長さんですかぁ。やっと、でんわが、、、できました。やっと、声を聞くことができました。いま、おさむのひとりごとのKさんのはなしをよんで、、、どうしようもなくなって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』沈黙の後に、ぼくの目から涙が噴出しました。声が出なくなってしまいました。受話器先のOさんも涙で声を詰まらせています。『あなたのその、生き方にぃ、いつもゆうきづけられているんですよ・・・生きる支えにしているんですよぉ。。。あたしはおきゃくさんになれないけれど、こういう人間もいるんだとおもって、、、いろいろたいへんだとおもうけど、、、がんばってくださいぃ・・・』

≪・・・・・・≫
 Oさんはこれまでに何度もお手紙を書いてくださったのだそうです。切手まで貼って、何度もポストに入れようとしたのだそうです。でも、お客でもない自分がこんなことやっても、、、と思い留まってきたのだそうです。しかし、先月号に書いたKさんの記述に、居ても立ってもいられなくなってしまった。勇気を振り絞って、電話を下さったのです。
 『Oさん、ぜひ今度、遊びに来てくださいね!』とお誘いすると『いきたいんですよ、カタロにもいきたい。 しんりんこうえんのもりであそぼうにもいきたい。でも、からだがふじゆうで、いくことができない。まごのめんどうもみなければならない。いきたくても、いくことができない・・・。だからおさむさん、そんなおもいでカタロつうしんをたのしみにまっているにんげんがいることを、しっていてください。。。』
  朝から嗚咽をしてしまった私。ひとりごとを書き始めて、これほどに心が震えたことはありませんでした。住所や連絡先は、あえて伺いませんでした。その、Oさんの思いを、まるごとぜんぶ、わたしのこころに受け留めさせていただくことで精一杯でした。Oさん、ありがとう。おれ、がんばるよ。またいつでも、お電話くださいね。

≪背中を押されている感じ≫
 カタロ活動を10年やってきました。いろんなことありました。当初、本質を理解してくださった方はほんの一握りでした。でも、10年続けてきました。そした
ら、信じられないほどのつながりで満たされていまし
た。
 いま、100人の人と話しをしたら、100人全員が、『今、なんかおかしいよ!!』と言う。学校が、社会が、人間関係が、政治が、経済が、お天気が、ごみ問題が、資源が、犯罪が、病気が・・・・枚挙に暇がないとはこのことだ。だから、ぼくのいのちが、その『おかしい』に対して、ほんのわずかでいいから、ほんの少しでもいいから、よい方向に向かうことに貢献できるのならば、本望だ。ぼくのいのちの、本懐だ。そう願ってカタロ活動を続けてきた。ひとりごとを書き続けてきた。そしてそのキーワードが『つながり』であることが明確になった。人はひとりぼっちじゃ生きられない。でもいま、おおくの人がひとりぼっちだ。こころの中が砂漠のようだ。こころが、魂が、関係が、カサカサだ。それを示すおおくの現象が目の前に、わんさかと、連日、怒涛のごとく現れる。
 そんな思いで空〜くう〜を始めることにした。そうしたら、我がことのように考え、協力を惜しまない大勢の方々が目の前にいらっしゃった。
 器を提供してくださったIさんMさん、甘味の指導をしてくださるHさんKさん、ケーキづくりやサービス全般を考えてくださるIさんAさん、あんこをつくってくれるぼくのお父さんお母さん、食材はあそこがいいよ、火元責任者は俺がやってやるよ、こんなメニューじゃだめだよ、こんなふうにしたらいいよ、あんなふうにしたらいいよ、、、ネーミングもインテリアデザインも、エクステリアも、みーんな我がことのように考え、心配してくださる。

≪ひとりぼっち≫
 実は、、、じつは、ひとりぼっちだと思っていたのは、かくいう、私なのです。本当です。いつもひとりぼっちだった。クラスでもぽつんとしていた。友達なんていないと思っていた。助けてくれる人なんていないと思っていた。今でも落ち込むとその魔の手が伸びてくる。
 でも、そうじゃなかった。ぼくはたくさんの人に支えられていた。ひとりぼっちじゃなかった。お父さんお母さんに、あんちゃんに、妻に、子供たちに、多くの友に、社員に、職人に、お客様に、このひとりごとを読んでくださっている方々に。
 それは、開くことなんだと知った。自分を相手にゆだねられるかどうかなんだと知った。自分次第なんだと知った。信じていいんだと知った。
 
たくさん、たくさん、お話ししませんか。空〜くう〜で。


〜 N0.93(平成19年12月号) 〜

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 ふと気まぐれで毎年の新年号のバックナンバーを読んでみました。果たして自分はこれまで新年にあたってどんなことを書いていたのだろうかと・・・。読んでみたら、これがまた面白いのです。今年の新年号は、そのバックナンバーの頭の部分を切り抜いてみたいと思います。

≪2001年1月号≫
 新年明けましておめでとうございます。世紀末の自覚もないままあという間に20世紀が終わり、新世紀も刻々と時を刻んでおりますが、皆様いかがお過ごしですか。よく諸先輩から『年を取るごとに一年一年が早いんだよ』と聞かされていましたが、時間の大切さをヒシヒシと感じる今日です。
 さて、ご存知の方もおられると思いますが、弊社北澤工務店では本年1月1日付をもって、代表取締役の人事の変更を行いました。創業者であり、私の父でもある北澤孝から、次男坊である私にバトンタッチで
す。まだまだ早いとか、同族会社はダメだとか、ヨシヨシがんばれとか、いろいろなお声を頂戴しておりますが、当事者である私にとっては、日頃よりこのときを覚悟しておりましたし、自分の人生をかけてやるこの仕事ですから、全身全霊をもって取り組む所存で
す。

≪2002年1月号≫
 新年を迎え、皆様いかがお過ごしですか。今このひとりごとを書いているのは12月18日ですが、正月には自分の人生にじっと目を向け、人生の意味や目的を深め、今年一年の目標や計画を練る所存です。とはい
え、龍ヶ崎ショッピングセンター内『カタロリビングデスク』は年中無休で、12月30日から1月3日までは私の担当。ざわざわしている中、そんな余裕はないかもしれませんが・・・。新年のお買い物かたがた、是非お立ち寄りください。おいしいコーヒーを入れさせていただきますので。

≪2003年1月号≫
 いよいよ新年です。今年は未年ということですから、私は年男、ということになります。振り返れば女房とかわいい子供三人、父も母も誠に健在ながらそれなりにシワも増え、時の移ろいをしみじみ感じたりする今日です。ある時ふと古い写真が出てきました。私が育った古い家の玄関の前で、父と私が笑顔で写っています。私が5.6歳の頃でしょうか。青いセーターを着て丸々と太っていた私を、作業着姿でニコニコしなが
ら、その大きな手で私の頭を押さえています。平和そのものの風景です。それを見ていてびっくりしたんです。私、全く同じポーズで子供たちと写真を撮っていたのです。子供だった私が、父と同じ父になっている・・・。30年の時が流れた・・・。人生って面白いなあ、とつくづく感じたワンシーンです。皆さんもそんなこと、ありませんか。

≪2004年1月号≫
 新年のごあいさつで、『今年も相変わらず、おめでとうございます。』というのが慣例のようですが、激動のいま、果たして『変わらない』ことがおめでたいことなのか。そんなことをふと思いました。自分が動こうと動かなかろうと、時代は激変のときを迎えているように見えます。何が起きるかわからない。だから、動かされるのではなく、主体的に、前向きに、変化を自らつくりだして行こう。今年はそんな思いに奮い立っている私です。皆様はどんな新年を迎え、どんな志を立てられましたか。

≪2005年1月号≫
 新年明けましておめでとうございます。
 じっくりとこの字を眺めてみますと、理屈っぽい私は『なんで新年になるとオ・メ・デ・タ・イのか・・・』と疑問を感じました。聞くところによると『新
年』に対する考えは日本独特のものらしく、毎年々々私たちは『リセットボタン』を押すようにして生きているそうです。初夢や初日の出に対する慣習。初詣や書初めは古来より伝わり、『今年こそは』とか『今年の目標は』などと意気込みしたりします。リセットボタンを押すことができるということは、考えてみれば素晴らしいことですね。いつでもやり直すことができる。新たなる気持ちで一年のスタートを切ることができたから、『おめでたい』ということになるのでしょう。年末も年始も営業中の私にとって、お正月という実感は非常に希薄なのですが、皆様はどのような新年を迎えられましたか。
 ところで、初日の出を拝む人は無数にいますし、初詣に行く人はその混雑にもめげず無数にいらっしゃいますが、12月31日大晦日の夕日に手を合わせる人がどれくらいいるでしょうか。一年の報告と感謝の気持ちを神社やお寺に詣でる人はどれくらいいるのでしょうか。そんなことをふと感じました。ひとりごとを書いている今日は12月12日(日)。是非今年の大晦日は、今年一年の大恩を夕日になぞらえて、西の空に向かって手を合わせようと思います。始まりが肝心。でも、終わりはもっと大事ですね。

≪2006年1月≫
 新年 あけましておめでとうございます。いよいよ2006年が始まりました。皆様、いかがお過ごしですか。
 
≪2007年1月≫
 新年あけまして おめでとうございます。毎年書いていることなのですが、『新年』というのはいいものです。リセットボタンのようなものです。初夢、書初め、出初式、・・・・『今年の抱負は・・・』 『今年こそは・・・』 と期待と希望を抱く季節です。私も今年は秘めたる大きな夢の実現に大きく踏み出す年です。皆様にも是非ご協力いただきたいことなので、その節はよろしくお願いいたします。

 ・・・・・それからまた、一年が経ちました。たった一度の人生、一人ひとりの人生劇場、いのちが輝くような一年を生き抜いていきたいものです。

〜 N0.94(平成20年1月号) 〜

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 おかげさまで『カタロ通信』は、今月号で120号!!10年の節目を迎えることになりました。本当にありがとうございます。想えば数々のエピソードに包まれた120回のカタロ通信です。最初は学級新聞のような手書きで始まったのです。建築会社が何でこんなことを始めたのかと、受け入れていただくまでには相当な年月を要しました。
 一つ一つを思い出して書いていくのもいいかなぁ、と思ったりもしたのですが、新年早々、浮かんでは消え、浮かんでは消える沸々とした抑えきれない感覚があるのです。それはとても大きな話しで、見方によっては少しばかり無責任な表現となるかもしれませんが、書いてみたいと思います。(長くてごめんなさい)

≪同じことが起きている≫
 それは、業種業界を問わず、世の中全体で同じことが起きている、ということです。『いまさら何だ・・・』と言われそうですが、私自身、アタマでは充分すぎるほどわかっていたことなのに、とっても新鮮なことのです。建築業界で起きていることも、食品業     界で起きていることも、衣料業界で起きていることも、教     育界で起きていることも、医療も政治も人間 関係も・・     ・・。みんな同じなんです。同じことが起きていて、その『シワ』が同じように起きている。深刻な問題となって・・・。

≪建築業界の主流≫
 先日、クリナップのつくばショールームに行ってきました。つくばエクスプレス『研究学園駅』のすぐそばです。その大規模な開発といったら目を見張るばかりです。信じられないほどのタワークレーンが並び、大きな道路が行き交い、おしゃれなお店がどんどん建っています。
 メインは住宅地です。そのほとんどが『建築条件付』で、ハウスメーカーが牛耳っています。性能保障が表示された、画一的『ハウス』です。地域性や文化的な香りのする家は全くと言っていいほどありません。この背景にあるものは、銀行と提携した資本力、マスコミを駆使してムーブメントを起こす販売力です。そしてできたのが、日本中同じ街並み・・・。
 いま日本には新築からバラックまで、700万戸の家が余っているんです。さらに核家族化をすすめていくつもりなのか。30年経ったニュータウンは『オールドタウン』になって、子供の数よりもデイサービスの車の数のほうが多かったりする。
 老人だけの暮らしは寂しいよ。悲しいよ。
 また、自然派志向の世の中の風潮もユニークだ。ハウスメーカーも『自然派宣言』とか言ってる。でもそりゃ、体質的に無理だ。だか ら、『自然派みたいな家』ができた。なんちゃって自然素材がほとんどなんだ。上っ面ばかりがきれいなんだ。
 人間は環境の動物だ。なんちゃってに囲まれたら、なんちゃって人間になってしまう。上っ面ばっかりの人間になってしまう。家族関係が、人間関係が上っ面。ほんとうの自分って、いったい何?
 北澤工務店の家づくりとは、方針が全く違う。でも、それが主流なんだ。

≪食品・外食業界の主流≫
 ファミリーレストランは、とっても気軽だ。ぼくも頻繁に利用する。コーヒーも飲み放題、何時間いてもあまり気兼ねがない。ランチもとっても安くて、まあまあおいしい。。。冷凍技術とセントラルキッチンが可能にした、どこに行っても同じ味。『お母さんのおにぎりよりコンビニのおにぎりのほうがおいしい』とかいう、ばかげたコピーが流れるほど、味覚が狂ってしまっている。
 スーパーに買い物に行くと、どうしても安売りしている食品に目がいってしまう。でもあんまり安いのはなんとなく不安だから、理由もなく少しだけ高いものを買う。無農薬・自然栽培の食品も、『一応置いてあります』的にあるけれど、一般商品と比べて高いし、曲がっているのが、形が悪いのが、虫が喰っているのが嫌とか、泥がついているのはどうも、とあまり売れている気配はない。
 今回、『甘味caf? 空〜くう〜』をやってみてわかったことなのだけれども、ほとんどの食材に食品添加物が入っている。入っていないのを探すのは大変だ。自然のままでは、発色が悪い、痛みやすい、ひとつひとつ味が異なる・・・など等の理由から添加物が多用されている。合理化・画一化のために使われている。
 親子の絆、家族の絆が最も深まる食卓の文化が変容している。
 これって、建築と全く同じ現象ですよね。

≪衣料業界の主流≫

 他の業界と同じく、大量生産・大量消費・大量販売の使い捨て文化の象徴のような衣料業界。
 競争社会では、一般的に安いほうが勝つ。だから、本物に見えるような『なんちゃって製品』を安く販売するところが勝ち残っている。
自然素材やオーダー製品が本当はいいのかもしれないけれども、高い、扱いが難しい、原料が高価、ひとつひとつが異なる・・・などの理由で、工業化が難しい。大量生産に都合が良いのは、画一的であることだ。反ったり曲がったりねじれたりするのは都合が悪い。だから化繊がそのほとんどを占めた。
 一つのものを大切にすることがなくなった。お母さんがツギあてをした服はかっこ悪い。新しくかったほうが安い。すぐ着れなくなってしまうのに子供にブランド服。でも捨てるのはもったいないから、タンスの中は自分でも知らないような服で満室になっている・・・。

≪教育界の主流≫
 どんな業種業界もおっきな問題を抱えているけれど、ぼくは教育界が最も過酷な問題を抱えていると思う。もしかしたら、一同教室に集めて、同じような教育を施す現在のやり方は、すでに終焉の時を迎えているのかもしれない。
 大量生産・大量販売・大量消費の時代はそれで良かった。集団生活の中で、同じような教育をし、同じような体験をさせることが学校の役割だった。
 学校の先生の存在が社会的に高位で、誰もが敬っていた時代背景も大きい。いまや、親のほうが先生よりも学歴が高く、だからなんだと言うことはないのに、モンスターペアレントなる生物が出現した。

 先生も人の子だ。身の危険をさらしてまで貫きたい気持ちがあっても、相手によって気持ちも変わる。マスコミは先生の不祥事が最も大好きな分子だ。へんてこな親(ぼくのこと?)を増殖させている元凶だ。
 そんな親、先生、社会の中で、子供たちは絶妙なバランスをとって、こんな時代でもなんとか生きようとしている。ゲームに走り、いい子に走り、不良に走り、優等生に走り・・・なんとか生きている。彼らがつくり出したものなど何ひとつない。すべて、おとなに預けられたものなんだ。子供たちは時代の申し子なんだ。
 教育界で起きている主流。それは、波風立てるよりも無難に、無難に小さくこじんまりとやり過ごそうとする風潮。ぼくはそれも仕方がないと思う。先生方がおかしな父母対応に追われる時間のボリュームは、想像を絶するほどなんだ。でも、波風立てて、意思を貫き通そうとしている先生方がたくさんいることもぼくは知っている。ぼくは、先生方の応援団でありたい。

≪で、まとめ・・・≫
 実にまとまりがなくてダラダラとした、かつ具体性に書ける文章でごめんなさい。ただひとつ書きたかったことは、どんなところでも同じことが起きているということなんです。それは、『損か得か』『正しいか間違っているか』という、勝手な価値判断からくるゆがみで
す。また、目に見えないものを粗末にして、見えるものばかりを偏重してきたゆがみなんです。
 それらがもたらしたもの。ひとのこころを蝕んできたもの。それ
が、孤独感や孤立感、虚無感となって、うつ病や自殺の信じられないような統計、重犯罪や離婚の激増、家庭の崩壊、心と体の分裂につながっていると思うのです。どんな事件が起きても、もう驚かなくなってしまった。
 『なんか変だ、おかしい、問題だ!』と嘆いてみても、新聞記事を鵜呑みにして講釈延べても、何一つ変わらない。自分が一歩なにをするのかだけが重要なんだ。
 ぼくは、たいそう立派そうなことを言っても、世の中を変えられるわけではないし、議員になって世直しができる器でもない。でも、でも、ぼくは40歳になった。この一度しかない人生・いのち、『おかしいよ!!』と感じていることに対して、ほんの少しでもいいから、ほんのわずかでもいいから、いい方向になることに行動を起こして、貢献していきたい。
 だからぼくは、北澤工務店の活動を、もっともっと活力あるものにしていくんだ。家づくりを通して、カタロ活動を通して、空〜くう〜を通して・・・。見守っていてくださいね。ではまた。

 

〜 N0.95(平成20年2月号) 〜

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